【小説】魔響幻奏 第三章 第三話 二節

 波上葵は、屋敷の庭で一段落付いていた。
 普段はあまり客人など滅多に見えないこの屋敷に、今日は立て続けに知り合いがやってきた事もあってか、葵は少しばかり喜びつつもこれからの自分を見据えながら、真剣なまなざしで屋敷を見上げていた。
 ――現在、この屋敷にいるのは自分ひとりだけであった。
 正確にはひとりではない。屋敷の使用人ならば幾人か残っている。だが、唯一の肉親であった父親は死に、母親はとうの昔に姿をくらませているという状況で、葵は一人ぼっちだと言う事に変わりはなかった。
 そんな現状を、だが葵は真っ直ぐに見つめている。
 確かに父親の死は悲しいものだった。今でも辛い。だが、そんなことで落ち込んでいられるほど、今のこの状況は甘くはない。
 父親が死んだ今、この波上の屋敷――波上家そのものと言っていいだろう――それを自分が引き継がなければならない。
 波上家の当主とならなければいけないのだ。
 そのあまりにも重い責任が、彼女に押しかかっている。
 だが、葵はくじける事はない。
 それが、波上葵という人間だから。
 そうして、そうなるように、育てられてきたから。
「そろそろ、日も暮れてしまいますね……」
 葵は庭にある小さなテーブルセットの椅子から立ち上がると、テーブルに立てかけている弓を手に取り、屋敷へと戻ろうと振り向く。
 そうして軽い足取りで歩いて行くと、何かの違和感がある事に気がついた。
(……これは?)
 目の前の空気が異常なまでに重い。そこには屋敷の玄関しかないはずだが、目には見えない何かがある、と葵は直感で感じ取る。
(魔力……ですね。なるほど、そう言う事ですか)
 そうして、理解する。
(ふう。本当に、今日はお客人が多いですね)
 そこにいるものの正体を。
「……いい加減、隠れていないで出てきてはどうですか?」
 挑発するように、何もないはずの場所に向かって葵は言葉を放つ。
 その瞬間、その空間が捩れるようにして歪んだ。そして僅かな黒い点が浮かび上がったかと思うと、それが一気に広がり、破裂するようにして中から白装束の人間が姿を現した。
「私隠れていたはず、です。何故気が付いた、です?」
 何やらおかしな口調で話すその白装束の人間――声から察するに少女だろう――が、静かに葵の元へと歩いていく。
「不穏な空気と……そうですね、貴女から異常なまでの魔力を感じ取ったもので」
 葵は淡々と説明する。
 それに、白装束の少女は少しばかり驚いたように、
「魔力を感じ取った、です? おかしい……ちゃんと隠していたはず、です」
「確かに魔力を察知されないようにされていたようですが……無駄ですよ」
 葵は告げる。
「私に対して魔力を隠蔽したところで無意味です。余程のレベルでない限り、私はどんな魔術師の魔力でもすぐに感じ取る事が出来ますので」
 それが、葵の能力。
 父親が葵を「堕ちた者」討伐に積極的に向かわせていたのも、この力があってこそだった。
 葵は、自らの内に膨大な魔力を秘めている。だが、それを使うことはない。魔術師としての心得がない彼女にとって、それは有り余る無意味なものである。
 だが、その有り余る魔力が、彼女にそんな能力を顕現させるきっかけとなった。
 彼女自身、この能力についても大抵は理解している。そう、これもあの月城昴や朝雛紅憐と同じ「固有能力」――
「さて、私のお話はこれまでにして……貴女がやってきた理由を教えて貰いましょうか」
「……一緒に来て貰う、です」
 白装束の少女は、ただそれだけを呟いて葵を睨むように見つめた。
「その理由は?」
「言えない、です」
「そうですか、なら――」
 葵は少女に背を向けて、歩き出す。
「な、ど、どこに行く、です!?」
「お生憎様ですが、名乗りもせず、理由も話さないような方に付いて行く程、私はバカではありませんから」
 冷たく、鋭いような口調で葵はそう告げると、屋敷まで真っ直ぐ歩いていく。
 そんな葵の背に向かって、白装束の少女は手をかざした。
 その瞬間、白銀の閃光が迸る。それは白装束の少女から、葵に向かって放たれたものであった。
 まるで矢のようなその一撃を、だが葵は魔力の動きを感じ取っているのか、それを予感して右に避けた。その一撃は葵のわずか横を通り過ぎて、地面にぶつかった。その瞬間、起こる衝撃波。それは、その一撃がどれだけの威力を持っているかを十分に語っていた。
「……穏やかではないですね」
 そう一言だけ言い放って、葵は振り返る。
「……セリナ」
 白装束の少女が静かに口を開く。
「セリナ・ライフコット、です」
「……波上葵です。まぁ、どうやらそちらはもうすでに知っているみたいですが」
 葵は白装束の少女――セリナに向き合う。
「ですが、どうやら目的の方は……話してくれないようですね」
 葵の一言に、無言で頷く少女、セリナ。
 ――これ以上の言葉はいらないと言わんばかりに、二人は構えて対峙した。