死神の夜 プロローグ

 月が、綺麗な満月で照らす深夜。
 とある病院の病棟、その八階にある一室の窓がガラリと音を立てて開いた。
 窓は内側から開かれたのではなく、外側から。
 シャーン、と言う鈴の音が室内に小さく鳴り響く。
 その部屋は個人部屋だった。部屋の中のベッドはひとつ。そこには一人のまだ若い女性が眠るようにして横たわっている。
 窓を開いたのは一人の少女だった。
 黒いコートのようなモノに身を纏いつつ、その可憐な風貌を残す肌白い顔からは、まだまだ幼さを感じさせる。瞳の色は青で、髪は銀。初見であれば、まず外人の少女だと誰でも思うだろう容姿をしている。
「……見つけた」
 そう小さな声で少女が呟くと、窓から足を床にぺたりと着けて部屋へと入り込んだ。
 その足は靴も靴下も履いていない素足。だと言うのにまるで汚れなど知らないと言わんばかりにそれは綺麗であった。
「起きて」
 ボソ、と少女はもう一度呟いた。その瞳は、ベッドの上で横たわっている一人の女性へ向けられている。
 その瞬間、ピクリと女性の身体が動いた。
 だが呆気なくすぐに動きは止まり、しばらくの間、部屋の中を沈黙が支配する。
「そろそろ」
 少女がまた呟くと、今度は女性の身体の周りが光を集めるかのように輝きだした。少女がそれを見守る中、光はやがて一つのカタチを作り出す。
 そうして、そこには透き通るような女性の霊体が浮かんでいた。
 ベッドの上で今だ横たわる、その女性とまるで同じの。
「……起きた?」
 浮かぶ女性の霊体は、まるで自分の今の状況が解らないと言わんばかりに慌てふためきながら、目の前に立つ黒い服飾を纏う少女を見た。
『あなた……誰?』
 声すら透き通っているようで、まるで風の音を聞いているような感覚。そんな声を自分で出したのだと気が付いて、また女性はわけが解らなさそうにオロオロする。
「わたしは、あなたを迎えにきた」
『迎えに……?』
「そう。わたし、死神だから」
『……し、にがみ?』
「そう」
 ポカーン、と最早自分の置かれた状況なんてどうでも良くなるくらい、霊体の女性は目の前の少女の言動を信じられないと言った表情で聞いていた。
「すぐに実感は沸かないかもしれない。でも今のこの状況を見れば、いやでも理解する事になる」
 そう真面目に解説する少女を見て、女性は自分の身体を見つめた。
 透き通る身体。それはまるで、幽霊のようで。浮いている自分の身体の下にいるのは、一人の見慣れた女性の姿。
『……ちょっと、待って。これはなに?』
「あなた」
『それは見れば解るわよ。……どうして、私がこんなところで眠っているの? それに、今の私は……これじゃまるで、私が』
「死んだの」
『ッ……!?』
 死んだ、と言う発言に、女性は驚きを隠せない。
 誰が死んだのか、なんて質問は愚問に過ぎない事は解っている。この状況、少し考えればすぐに理解出来る。
 ベッドで横たわっている自分。霊体になってしまった自分。目の前に立つ、死神と言う少女。
 これら全てを繋ぎ合わせれば、もう馬鹿だって答えは出せる。
『私……死んだ、の?』
「そう」
 ただ一言、自分の想定が現実だと肯定する、頷き。
 それを聞いた瞬間、女性はもう何がなんだか解らなくなった。
『なんで、なんで私死んでるの。おかしい、おかしいわよ……だってついさっきまで部屋でテレビ見てたわ……それから、それ……から』
「玖珂原玲(くがわられい)。三日前、自宅の自室にて突然原因不明の発作によって意識不明。わたしはそう聞かされた」
『私の……名前……。じゃあ、私は本当に突然部屋で死んだって言うの……?』
「そう。でも、実際はまだ死んでない。もうすぐ死ぬけど」
 霊体の女性――玖珂原玲は、自らの死を唐突に知らされ、何も言葉が出なかった。驚きと言うよりは、いきなり訪れた死への恐怖だろうか。
 黒い服飾を身に着けた少女は、ゆっくりとその素足で霊体の女性の前まで歩く。
「わたしは、あなたを迎えにきた」
 一度聞いた言葉。
 今の状況を理解した上で聞けば、その意味は理解出来る。
『……死神ってことは、私は地獄に落ちるの』
「ちがう」
『え……?』
「世間一般的な死神のイメージと本当の死神の姿は全然違うし、まず地獄に落とすのは悪魔の所業よ。わたしたち死神は死を管理するもの。これから死ぬ人間の魂を、有るべきところへ連れていき、時に戻すもの」
『戻す?』
「……死神は、人間の死を管理出来る。だから、その死を無かった事にする事も出来る」
『じゃあ……私、死ななくて済むの!?』
 少女の希望の言葉に、玖珂原は瞳に生気を戻したように問う。
「できるけど。……それはあまり薦めないし、難しい」
『難しくてもなんでもいいから! どうすれば、私は生き返られるの!?』
 少女は、少し戸惑うような表情を見せた。
 目の前の女性は生き返る事を望んでいる。だが、それは少女にとっては苦渋を強いられる事になるかもしれなかった。
「……人間の死には、必ずなんらかの原因がある」
 だが、それでも死神として、少女はその義務をこなす必要があった。
「あなたが生き返る方法は、その原因を見つけ出して……その原因に死を与えること」
『ど、どう言う……こと?』
「自らの死を逆転させたいのなら、他の生を逆転させて死にする必要がある。いわば等価交換。自分が生き返る変わりに、他の何かを殺さなければならない」
『殺す……って、私は原因不明の発作で意識不明になったのよね? それじゃ、原因を探すどころか突然起こった発作に原因なんてあるわけがないじゃない!』
 希望を得た瞬間に絶望をも得てしまった玖珂原は、責め立てるように目の前の少女に言葉を放つ。
 そんな中、少女は目を閉じ、ただ口だけを開く。
「原因は必ず存在する。死とは何らかの要素があって初めて訪れるもの。それが寿命と言う縛りの上でないなら尚更。あなたはまだ若いもの、必ず死の原因は存在する」
『そ、そんな事言われたって……。もし、本当にそんなものがあるとしても、どうやって探せば良いのよ!?』
「その為に、わたしたち死神がいる」
 パァ、と玖珂原の霊体が輝き出す。それは霊体の出現時と同じ光。琥珀色の輝きは一層に増して行き、次第にそれは凝縮していく。
 光が収まると、霊体である玖珂原の身体が、床にスタッと足をつけた。
『え……? 足が、地面に……』
「あなたに一時的な物理的干渉を与えた。あなたの姿はわたしや他の死神以外には見えないけれど、あなたは物に触れる事も出来るし、地面を歩く事だって出来るようになった」
『……つまり、私はこの身体を使って、自分が死んだ原因を探し出せば良い……そう言う事?』
「そう」
 相変わらず素っ気無い返答をする少女に、だが玖珂原はもう何も浮かばない。
 あるのは、今自分が何をするべきか。それだけだった。
『いいわ、乗ってあげる。今この自分の現実が夢でないのなら、あなたを信じるに他ないわけだし』
「そう」
『……さて、それじゃひとつ質問してもいいかしら』
「なに?」
 玖珂原は軽く笑みを浮かべ、目の前の少女に向けて言った。
『あなたの名前、教えてくれる?』