魔術師は月に照らされて/第一章・1節

 月城達の通っている学校は、彼の住まうマンションから徒歩で十分程度の場所にある。
 紅憐と一緒に登校を済ませた月城は、今は教室でホームルームが始まるまでのゆったりとした時間を満喫していた。
 ちなみに説明しておくと、紅憐は月城の隣に座っている。別に冷やかしに来ているわけではなく実際に正式な席順で隣なのである。ついでに解説すれば、一度たりとも席が隣でなかった事なんてない。なんでこんなにいつも一緒なんだこいつら運命の赤い糸ででも結ばれてるんじゃねーか、なんて回りの目が痛いのはこれまたいつもの事である。実際、月城も紅憐も何故こうなるのかわけが解らないまま今に至っている。
 そんな中、二人は特に気にもせず今朝見たテレビのニュースの話を掘り起こしていた。
 獣が食い散らかしたような跡の残った死体、連続で何度も起こっているバラバラ殺人事件。それがこの街のどこかで行われている――その事は、やはり嫌でも気になるものだ。一度知ってしまうと、人間という生き物はなかなか忘れる事が出来ない。それが興味のある事ならば尚更だった。
 二人は適当にクラスメイトに話を聞いてみたが、特に有益な情報は何も無い。まあ当たり前と言えば当たり前なのだが、それでも誰か一人くらい詳しい奴がいてもいいのにこのクラスの人間ってほんとニュースとか見ないんだなー、なんて月城が思いふけっていると、
「あら、今朝のニュースのお話ですか?」
 ふと、どこからか女性の声が聞こえて来た。
 月城は声のした方へと視線を向ける。そこには、担任教師である女性、波上葵の姿があった。
「せ、先生!? い、いつの間に来てたんですか!」
「あら、少し前からここでお話しているのを聞いていましたけど、気が付きませんでしたか?」
「……まったく。って言うかまだホームルームの時間ですらないのに教室にいるのは何故!?」
「たまには生徒とのスキンシップも必要かな、とか」
「どこの教師だよ! っつーか生徒に混じってても違和感のない教師って時点でどうかと思うのですがその辺どうなんですか波上先生!?」
 波上葵はまだ年齢が若い。その実十九と言う、実に珍しい若教師さんである。肩まで伸びた紺色の髪はきっちりと整えられていて、顔つきもそこまで子供っぽくはないごく普通の十九歳に見える。だが、外見そうは見えるが実際のところそうは見えない、なんて言うおかしな状態だったりした。いや、十九なんてまだまだ子供だとも言えるのだが。
 ともかく普通の教師ではない事は言うまでもないし、度々こうやって生徒間に混じっておしゃべりをしたりしているので、違和感という違和感がまったく感じられないのである。
「お話を戻してもいいですか、月城くん? えーっと、今朝のニュースのお話ですよね。なんでしたっけ、連続バラバラ殺人事件でした? 私、今朝学校へ来る途中に多くのパトカーが止まっている所を見てきたところなので、それの事かもしれないですねー」
「……なんか凄くはぐらかされた気がするんだが」
「昴、その件については気にしたらおしまいだって」
 そこでさり気なく紅憐にフォローされた。
 生徒に混じっても違和感がない、と言う事を先生に言うとあまり良い返事が返ってこないのは解っていたのだが、まさかスルーされてしまうとは想像していなかった月城である。葵は特に子供扱いされるのが嫌いだと言うのはクラスメイト全員が知っている事で、暗黙の了解の上、彼女にそれ関連の質問をする事はタブーとされている。生徒に混じっても違和感ない、なんて直接的な発言ではないものの、それは子供に混じってもおかしくないんだからアンタも子供じゃんと言っているようなものなのだった。
「で、先生」紅憐が話を戻すために、「そのパトカーって言うのはどの辺りに止まっていたんですか? ニュースは途中から見たので事件現場の場所とかその辺の知識があんまりなくて」
「えーっとですねー、駅の近くにある商店街ありますよね? その近くの路地裏だったと思います。あ、事件現場がですよ? パトカーが実際に止まっていたのは商店街付近でしたし」
「商店街って……。なんでんな所の近くで殺人事件なんか起こすのかな、この加害者野郎は」
 月城が諦めて話に加わるように呟いた。
 確かに商店街などと言う人目につき易く、住宅も多い場所の近くで殺人を起こせば、最悪悲鳴を聞きつけて誰かがやってくる可能性だってある。それを考慮しない犯人が少し馬鹿に思えたのだろう。だがそんな月城の思いとは裏腹に、葵は間を置かずに即答した。
「え? だって犯人は獣かそれに近いモノなんですよね? じゃあそんな人目なんて気にするはずがないじゃないですかー」
 ……。と、沈黙がその場を包み込んだ。
 一人キョトンとした表情で「えっ? 違うんですか?」なんて言いながら慌てる葵。これには、さすがに笑いを隠す事が出来なくて、月城は思わず吹き出してしまった。
「せ、先生。まさか、本当にそんなものがいるわけないって。そんな知性のない獣がこうも連続的に、同じ時間帯に犯行を繰り返せるわけがないし」
「……むむ。言われてみれば、確かに」
 何か凄く納得したような表情で言う葵を見て、月城は言葉を続ける。
「それに、もしそんなモンがいたとしたって今はどこにいるんですか? 姿を隠せるとは思えないし、警察が動いてるならとっくに見つかってるでしょうよ」
「なら、この事件の犯行は人間の仕業だ、と?」
「それしか考えられないでしょうねぇ。大体これだけ騒がれた奇怪な事件でさえ、どうせ結局犯人は人間でしたー、で終わっちゃうんだから」
「うーん。……でも、それじゃおかしいんですよね。だって、バラバラにされた死体の中には、見つからない部分が存在してるものもあるんですよ?」
 え? と、月城は一瞬自分の耳を疑った。
「見つからない、って……じゃあ、それは犯人がどこかへ持ち帰るなり、隠すなりしたとか」
 自分で言っていて矛盾している事は解っているのに、それでも彼女の口から答えを聞きたいと、月城は普通なら返すであろう言葉を口にする。
「それはヘンなんです、月城くん。だって、隠すなら最初から全部隠せばいいじゃないですか? それになくなっているのは何も腕だとか脚だとか、そういったパーツではないんですよ?」
 月城は思い出す。
 ニュースにて報道されていた内容。確かそれは、獣に食い散らかされたような死体、だと言われていなかっただろうか。それがどう言う意味なのかその時は深く追求はしなかった。ただ酷いんだろうな、とだけ思って留まっていた。
「……内臓やら、指やら、腹部の一部やら。そう言った『普通はバラさない』ような部分が、それも噛み砕かれたり、引き千切られたような跡を残して無くなっているんです」
「――うぁ」
 言葉を失った。
 想像するだけで気味の悪い光景。そんなものを脳裏に思い浮かべてしまって、月城は少し吐き気を催してしまう。そんな彼を気遣うようにして、先生、波上葵は両手をパンパン! と叩いて、
「はい、じゃあこのお話はこの辺にしておきましょう! ね、聞くだけでも気持ちの悪いお話でしょう? だからもうこの事は忘れるのが一番です。忘れられなくても、もうお話する事はやめたほうがいいですし」
「そうですね……。ほら、昴。さっきから顔色悪いけど、大丈夫?」
「あ、ああ。大丈夫、ちょっと想像したら気持ち悪くなった」
「あはは、昴ってこー言うのに弱いんだ。こりゃ、あたし良いこと知っちゃったわねえ」
「……別に苦手って訳じゃねーけど。でもさ、誰だってこんな話して気分良くはならないだろ」
「まーね。なんか空気も重い感じだし。……うーん、先生、何か楽しい話題とかありません?」
 唐突に葵に向けて話題を振る紅憐。確かに今の空気は少し重かった。殺人事件だのバラバラの死体の身体がどうだのなんて言う会話をしていればそれは当然の結果ではあるのだが。
 そんな中、話を振られた葵は少しうーんと唸ったあと、ぱっ、と顔を明るくさせて、
「あ! ありますよ楽しい話題。えっとですねぇ、今日、実は転入生さんがくるんですよ!」
 ……。と、今度は違う意味での沈黙が辺りを包み込む。ちなみに今度は月城達だけではない、クラス全体の沈黙だった。
「……なんでそれを早く言わなかったんですかァあああああああああああッ!?」
 月城が先程までの気分の悪さを全回復させるような勢いで立ち上がり、葵の両肩を掴んで沈黙を破るようにそう叫んだ。
 その月城の叫びを合図に、クラス中の生徒が一斉に葵の元へと駆け寄ってくる。
「先生、転入生って男? 女!?」「お、女の子ですー」「女の子って、どこの子!?」「えっと、確か海外から帰国してきた元日本人の方だとか」「海外!? ってことは金髪美女とか!」「えと、拝見した事はないのでなんとも……」「アンタ担任だろ、普通はもう会ってておかしくないんじゃ!?」「いえ、その、ギリギリにこちらに着くようでして、まだ」「ってことは俺達が初見かよ、くはーっ! 早く来ないかな金髪美女!」「ま、まだ金髪で美女とは決まってないですよ?」「先生解ってないなぁ、こう言うのは金髪美女がやってくるっつーのがセオリーなの!」「そ、そんなものなんですか?」「そんなもんそんなもん!」
 クラス中の男子と言う男子が数々の質問攻めを行いつつも、その全てをなんとか必死に返答し続ける葵の姿を見ながら、紅憐は同情にも近い眼差しで溜め息を吐いていた。
 ちなみに月城はと言うと、最初にやってきた男子に首根っこを掴まれて放り投げられ、今は大勢の男子達の下でへばっていたりする。
「お、おい紅憐。俺にせめてもの同情の眼差しは……?」
「アンタは自業自得でしょうが」
「……うう。だが俺はもうすぐやってくる金髪美女のために、この屈辱を耐え抜いてみせる……」
「……ほんっとバカよね、アンタ」
 うるせえ言われなくても解ってるけどそれでも夢見たいんだよォおおお! と、月城は数多くの男子生徒達に足蹴にされながら心底、そう叫んだ。
 主に心の声で。

  ◆

 そうしてホームルームの時刻になったわけなのだが、
「今日からこの学校に転入してきた月城ルナです。何かと日本を離れてから時間が経っていて少し不器用な所があるかも知れませんが、宜しければ仲良くして戴ければと思います」
 言ってた通りの金髪美少女がやってきてしまった。
 それだけならばまだ良い。
 だが、なんと月城はその少女の事を知っていた。
「ルナさんは三年前にロンドンへ移住されて、今回はそのロンドンでのお勉強を終えて戻ってこられた帰国子女さんです。みんな、出来る限りの協力を惜しまないよう、優しく仲良くするように――」
 次に、追加で葵先生の紹介が加えられる。
 三年前。ロンドン。引っ越した――色んなワードが全てを確証に変えていく。
「ルナじゃない! ねえ、昴、ルナだよ! まさか帰ってくるなんて思ってもみなかった!」
 一人、隣で何かとはしゃいでいる紅憐の言葉を聞いて、月城は絶句してしまった。ああ、やっぱりそうなんだ――と。
「ルナ……なのか。でも、なんで」
 全てが唐突過ぎて、思考がまったく追い付かない月城である。
 脳裏で状況を整理すると、つまりはこう言う事だ。
 月城には三年前まで、一人の妹がいた。
 と言っても血が繋がっている訳ではない。長い長い海外旅行を満喫していた父親が再婚した時に、その相手の女性が連れていた子供の少女がルナだったのである。
 偶然にも月城とルナは同年齢だった。気が合うだろうと踏んだ月城の父親は、親戚に預けていた月城を引き取りに日本へ帰ってきた。それが今から四年程前の話である。
 月城とルナはあまり打ち解ける事が出来なかったものの、次第に普通に話すようになり、お互いを家族として認知するまでに至っていた。だがそれでも、月城の父親、そして義理の母親である外国人女性、そしてルナ――この三人との同居生活は、月城にとってはあまり好ましいものではなかった。
「席は、えーっと、あ、月城くんの後ろが空いてますねー。ルナさん、席はあちらでお願いします」
「あ、はい。解りました」
 彼女とは確かに気が合っていたように思う。だが、義理の母親、そしてそれに現を抜かしている父親――そんな二人とこれ以上共に暮らしていくことが精神的な苦痛になってしまった月城は、海外へ向かう事になった時、日本に残る事にした。父親との口論も多々あったものの、なんとか説得させて今に至っている。
 月城の本当の母親は、もういない。
 まだ月城自身が幼かったころ、いつだったかはあまり聞かされていない、そんな遠い遠い昔に、母親は病に冒されこの世を去った。
 それをキッカケに、月城は父親の元から親戚の家へ預けられ、父親は一人、傷心旅行だと置手紙を残して海外へと姿をくらました。そんな父親が、今更になってひょいひょいと女を連れて戻ってきた事が、月城には我慢ならなかったのである。
 だが、ルナだけは違っていた。
 彼女だって自分と同じ境遇なのだ。だからこそ、月城は彼女とだけは仲良くしようと思った。だから――三年前、別れる事となった時、月城は涙を流して別れを告げた。ただ一人の少女、ルナに向けて。
(どうして、今になって帰ってきたんだ……)
 解らない。
 それは、本人に聞いてみるのが一番だと解っているが――それでも、何故か目を合わせる事が出来ないでいた。
「久しぶり……紅憐、兄さん。元気に……してた?」
 後ろの席に座った少女ルナが、呟くような小さい声でそうこちらへと話し掛けてきた。それでもやはり目を合わせる事に戸惑いを感じて、月城は振り返らない。
「うん、ほんと久しぶりだねルナ。にしても驚いたわよ、まさかいきなりこっちに転校してきて、しかも同じクラスだなんて。事前連絡くらいしてくれても良かったのに」
「ごめんね、ちょっと色々手間取っちゃって。今日も本当はもう少し早く来れる予定だったんだけど――」
 二人はもうすっかり昔のように会話をしている。そんな中、月城はどうやって接すればいいのか解らなくて、どうしたものかと紆余屈折していると、
「兄さん、兄さんには事前に手紙を送っていたはずなんだけど……届いてない?」
「……え、て、手紙? えーっと、来てたかな……」
 普段、ポストを確認するのは二、三日に一度あればいいくらいの頻度だったりする月城は、そう言われると何も返すことが出来ないでいた。確かに最近はポストを確認していなかったので、もしかすると本当に手紙が届いていたりするのかも知れない。
(ど、どうしたらいいんだよ。対応に困るぞ、これは……)
 そんな息苦しい状況の中、ホームルームは終わり、一時限目の授業が始まった。