魔法使いは月に照らされて/第一章

何故、貴方がここにいるのか、いられるのか解らないけれど。


良いからお願い。何も言わず、何も聞かず、何も知らずに――ここから逃げて。


  第一章/魔法使いで、少女で、妹で。


 未だ冬の寒さが残る春の朝、ゆらゆらと揺れるカーテンの隙間から照りつける眩しくも気持ちの良い太陽の日差しを浴びながら、俺こと月城昴《つきしろすばる》は自宅であるアパート、その自室にあるベッドの上でごろごろと寝転がりながら心地良く眠っていた。……はずなのだが、誰かが俺を呼んでいるような声が聞こえ、俺は夢の世界から覚醒した。もっとも、どんな夢を見ていたのかなんて目覚めた瞬間に忘却してしまったから、本当に夢を見ていたのかは解らないのだが。
 話を戻そう。誰かが俺を呼ぶ声が聞こえたってところからだ。……さて、俺は現在訳あって一人暮らしの真っ最中である。そんな現状、朝に弱い俺を毎日のように引っ張り起こしてくれる同居人だの親だの兄弟だの可愛らしい妹だの、そんなものは当然の如く居やしない。一応幼馴染がいるにはいるが、そんな可愛らしいものでは決してない。なので、朝起きると言う事柄が苦手な俺は毎日のように遅刻ぎりぎりの瀬戸際と言うか崖の上の綱を渡っているような状態で、結局その日課とも言うべき事象は変わる事なく、今日も今日とて性懲りも無く遅刻に焦って朝食すらまともに取れないような忙しい朝を迎えるはずだった。そのはずであったのだが、
「おはよう、兄さん」
 ふと寝ぼけ眼で壁に掛かっているなんの変哲もない円形時計を見ると、時刻はまだ早朝とも言うべき午前六時過ぎ。とてもではないが俺が起きれるような時間帯ではない事は、先程の説明だか解説でもう十二分に理解出来る事だろう。つーか理解してくれ。
 それだけならば良い、まだマシだ。理解するにあたっての許容範囲内でもあるだろう。俺だってたまに何の気まぐれか早起きしてしまう事くらい、年に一度や二度程度ならあってもいい。そりゃ多少は現実を疑うかも知れないが、それをこの目で見ればすぐに真実なのだと解るし、そんな偶然に感謝こそすれそれ以上の疑問を投げかけたりは断じてしないとも言い切れる。
 だが、今目の前に在るこの現実は、この光景は一体全体何なんだ?
「どうしたの? まだ寝惚けてる? 朝食ならもうすぐ出来るけど、先にコーヒーでも飲んで目を覚ます?」
 その異様で異常で不可思議なそれを一言で言い表すなら――そこには、俺の部屋の扉を跨ぐように、一人の少女がエプロン姿で立っていた。俺を見つめながら、その手にはおたまが握られていて……、
「……兄さん?」
 いや、いやいやいや。待てよ待て待て、落ち着け俺、落ち着いて現実を見ろ月城昴。まさか一人暮らしな俺の部屋にこんなおいしい……ではなく、おかしなシチュエーションがあってたまるか。兄さんだって? 俺に妹なんていただろうか。それもこんな可愛い妹が。
 いや、いる訳がない。
 記憶を辿ってみても俺はこんな子など知らないし、見た事もない。ましてや妹だなんてなんの冗談だ? 目を覚まして突然こんな場面に出くわせば、俺がいくら普通の人間だからってこれは夢じゃないかと疑いを持ってしまうのも無理はないと思うのだが。
 とりあえず俺は何を口にすればいいのかと迷っていると、
「効いてない、って事はないわよね。ううん、確かにちゃんと成功したはず……でもこの様子はおかしい」
 少女が突然何かを考えるような仕草をして突然ぶつくさと独り言を呟き始め、そして黙り込んでしまった。
 とにかくこれは好都合でもある。このまま二度寝しちまえばきっと俺は元の平常な日常に舞い戻れるはずだ。少なくともそうでなければ困るのは事実であり、もしこれが夢だとしても俺はなんて夢を見ていたんだと自己嫌悪するハメになってしまうわけだが、この際構うまい。確かにこうやって毎朝起こしてくれる可愛い妹ってのは健全なる男子にとっては夢のようなもののはずだし。
「ねえ兄さん。わたしの事解るわよね?」
 俺が布団を覆い被さって二度目の眠りにつこうとするや否や、妄想上の(そうであって欲しい)少女は何やら戸惑っているような声色でおかしな問いをぶつけて来た。布団の隙間から見えるその表情には少し不審の色が伺える。
 ちょっと待って欲しい。少しでいいから俺に考える時間をくれ。
 まず第一に俺はこの子の事なんて何も知らない。記憶に無い。解らないのに解るかと聞かれても答えはノウだ。だがこの雰囲気から察するに、俺は彼女の事を知っていなければならないらしい。現に彼女の表情がそう訴えかけている。
 何と答えればいいのか解らないまま、俺はただ無言でその少女の顔を見つめていた。多分、今の俺はかなり間抜けな顔をしているに違いないだろうと思いながら。
「え……えーと」
 そうして、あたふたとしながら言葉に詰まった俺は、
「……ここはどこだ?」
 訳が解らずに意味不明な返答をしてしまった。
 俺がそう呟いた瞬間、目の前の少女はまるで有り得ないものでも見るかのような瞳で、
「うそ、まさか記憶喪失にでもなったって言うの? そんな、確かに手順は合っていたはずなのに。こんな副作用、わたし知らない……」
 先に弁明して置くが、俺は決して記憶喪失などと言う如何わしい症状になっているわけではない。解らない事と言えば目の前の少女が一体何者なのかと言う事くらいで、自分の部屋の光景、空気、ベッドの寝心地、その他全てに関して覚えていると言う事には胸を張って自身を持てる。
「ねえ、本当に何も思い出せない? 自分の名前とか、ほら……」
 デマを吐いてみたのは良いが、さてどうしたものか。
 状況を整理するとあまり難しくは無く、ただ朝早く目が覚めたと思ったら目の前に見知らぬ自称・妹な少女が立っていた――と言う事だけであり、この謎を解き明かすためにはまずこの少女が何者かを知る必要がある訳だ。なら行うべき事はそう難しくもない。俺が聞いて真実を答えるかどうかは解らないが、試さないよりはマシだと言える。
 俺は少し間を置いてから、不安そうにしている少女に向けて一つの問いを投げ掛ける事にした。
「……いや悪い、冗談だ。俺は月城昴。ここは俺の部屋で、俺が一人暮らしをするのに使っている部屋だ。なんだが……さて、ここで問題だ」俺はわざとらしく人差し指を立てて、「一人暮らしをしているはずの俺の部屋に、居るわけがない女の子がいてさらに妹だのと宣言された場合、俺はどうすればいい?」
 ……、と言う暫しの沈黙の後、目の前の少女は静かに溜め息をついて、
「やっぱり、効いてないのね。困ったなあ、なんとか上手く行くと思ったんだけど」
 ますますワケが解らなくなって来た。効いてない、とは何がだ。薬か何かか? と言うより何が上手く行くはずだったんだ。まさか俺に妹がいるなんて事を錯覚させようと変な薬でも飲ませたんじゃないだろうな。だが一体それに何の意味がある?
「でもその様子だと、昨日の事は忘れているみたいね。まあ、多分ショックで記憶が飛んでいるだけだと思うから、そのうち思い出すんでしょうけど……」
「おい、昨日の事って何だ? 記憶が飛んでいるって、俺は昨日は普通に学校へ行って授業を受けて、それから――」
 それから、どうしたっけ?
 やばい。記憶が少し曖昧になっているのか、上手く思い出す事が出来ない。
「ッ……お前、何を知ってる?」
「女の子に対して『お前』なんて呼ぶのはあまり好ましく無いわね。……はあ、せっかくの家族化計画も失敗だし、どうしたものかな」
「そんなの仕方無いだろ、名前も知らないんだ。教えてくれてもいいんじゃないのか?」
 そんな俺の返答に、少女は「あ、そう言えばそうね」なんて呆気に取られながら呟いて、
「私は……そうね。ルナ、とでも呼んでくれればいいわ。まぁ、貴方の妹になる予定だったから丁度いいし、月城ルナって名乗る事にしましょう」
「るな……? 漢字でどうやって書くんだ。いや、外国人か? それより待てよ。どうしてお前……いや、るなが俺の妹って事になるんだ?」
「さっそく呼び捨て? まぁいいけど。ちなみにカタカナでルナね。外国人かどうかってのは、まあ説明が面倒臭いからこの際置いておいて。……何故かって言うのは少し色々事情があるんだけど、簡単に答えるなら、そうね」
 未だにその手に握られているおたまを頭に当ててうーんと唸ってから、ルナと名乗った少女は俺に向かって一瞥をくれると、そのまま軽く微笑を浮かべて、
「貴方がわたしの事を知ってしまったから、かしら?」
「知ってしまった、だって? どう言う意味だよそれ」
「昨日の事、本当に覚えてないのね……そっち方面の記憶が消えちゃったのかしら。うーん、そのうち思い出すとは思うけど、簡単に説明するなら」言いながら、ルナは扉の向こう側から俺の部屋まで踏み入ってきて、「貴方は昨日、わたしの秘密を知ってしまった。仕方が無かったとは言え、貴方はわたしの事情に脚を突っ込んでしまったわけ。その事情はわたしにとって他人に知られるべきではない事で、本来なら貴方を抹消してでも知られるべきではない事だった。でも、そうね。一言で言えばわたしは貴方を気に入ったのよ。だから一番最適な方法として、貴方の記憶を操作して、わたしが元から存在している親族――年齢的に考えて妹だと『錯覚』させるように仕向けたんだけど、何故だか効果はなかったみたい」
 ちょっと待ってくれ。
 いまいち話が良く見えないんだが、俺はようするに昨日ルナと初めて出会い、彼女にとって知られたくはない秘密を知ってしまったと言うことか。思い出そうとするが簡単には思い出せない事に苛立ちを感じながら、俺は目線だけをルナに向けて口を開く。
「大体の流れは理解出来たんだが、話の内容が抽象的過ぎないか。これじゃ何も解らないし、俺におま……ルナが妹だと『錯覚』させるなんて方法、一体どうやって」
「簡単よ」
 ルナは、さも当然そうな顔で俺に向かってそう言い放った。
「だって私、魔法使いだもの」
 ……、え?
 今、彼女は一体何と言ったのだろうか。俺の耳が悪かっただけかもしれない。いや、そうでなければこれはただの笑い話に成り下がる。魔法使い? おいおいいくらなんでもそれは冗談が過ぎるんじゃないか。
「まあ、普通じゃ信じられないでしょうね。でも実際問題、事実なんだからしょうがないわ。わたしが知られたくない事、って言うのもわたしが『魔法使い』だって言う事なんだから。今は信じられなくてもいいけど、そうね、そのうち昨日の晩の事を思い出せば嫌でも理解するんじゃない?」
 まったくもって目の前のこいつが言っている言葉の意味が理解出来ないのは、多分俺が何の変哲もない健全で普通なただの一般人であるからで間違いないだろう。
 こんな与太話、誰がはいそうですかと信じるって言うんだ? 余程の夢見た餓鬼相手じゃない限りは笑いこけている所だと思うぞ。
「……ま、いいわ。別に無理に今すぐ信じて貰わなくてもわたしは一向に構わない訳だし。それより『兄さん』? そろそろ朝食の時間だと思うんだけど、食べるわよね?」
 朝食だって? まさか本当に作ってたのか。別に勝手に台所使ってる事に意義はないが、なんだか複雑な心境である。
「あら、食べないの? もしかして朝食は抜く派?」
「いつも朝はぎりぎりだから。今日だってこんな朝早く起きた事に驚いてるくらいだ」
「駄目よ、朝食はその日の基礎になるエネルギー源なんだから、ちゃんと取らないと。そんなだと体内魔力も回復しな――って、これは貴方には関係ないか」
 本当にどこの電波なんだと言ってやりたいんだが、本人は心底自分が魔法使いだと思っているようで、確かにそれくらいの事情が無い限り俺みたいなそこら辺にいそうなただの高校生に素性を知られたからと言ってそいつの妹になんてなろうとは思わないだろうが、それでもやっぱりおかしいのはおかしいのである。
「お前に説教される事でもないだろ。俺は俺なりに生きてるんだから、見ず知らずの女に指図されるほど落ちぶれてもいない」
「む。お前って言わないでって言ったでしょ。呼び捨てでもいいから名前で呼んでよね。わたし、お前って呼ばれるの嫌いなの」
 知るかそんなの。
「はいはい悪かった悪かった。で、そのルナさんはこれからどうするつもりだ?」
「どうする、って?」
「あのな……。仮に、一歩譲ってルナが魔法使いだとするぞ」
 俺は信じてないが、と心の中で付け加えて、
「俺が知ってはいけないような秘密を知ってしまって、俺を監視だかする為に俺の所で妹をしようとしたってのもまあ解る。理屈は、信じる上でならな。だけど実際今の俺は妹なんていないと思ってるし、俺の周りの奴らもそうだ。そんな事知らない。一体どうやってこの状態を続けるつもりなんだよ。騙し切るのにも限界があると思うぜ」
「うーん。まだその辺までは考えてないんだけど。ま、なんとかなるんじゃない?」
 おい、こいつはどこまでぶっ飛んでるんだ? さすがの俺でも頭が痛くなってきた。
「でも」と、ルナは付け足すように、「わたし、その辺は得意な魔法使いだから。身辺の誤魔化し程度なら簡単だと思うわよ? そうね……戸籍上、貴方にはルナって言う妹がいるって情報を植え付けたりするのも難しくないと思うし」
「なんだそれ? 魔法使いってのは、杖から炎やら雷やらを出したり、傷を一瞬で癒したりする人種じゃないのか?」
 少なくとも、俺が最近嵌っているゲームソフトの物語ではそんな感じだったと思うぞ。
 そう俺が自分の思い付く限りの魔法使いのイメージを伝えてみると、まるで見当違いの返答だったのか、ルナは飽きれたような表情でこちらを見た。いや、俺がすでにお前に飽きれていると言うのは敢えて言わないで置くが。
「そんないかれた偏見は止めて欲しいわね。ま、中には確かに似たような事の出来る魔法使いもいるとは思うけど。実際はもっと難しい、一言では語り尽くせないようなものよ。魔法使いってものはね」
 そんなもんですか。
 まったく意味が理解出来ないが、やっぱりここは黙って聞いておいてやろう。俺じゃ何を言っても多分おかしな返事しか返って来ないんだろうし。
「はあ。これじゃ、無理やりにでも昨日の記憶を再生させて納得させた方が早いんじゃないかって思うくらいだわ。まるで信じてないって顔だし。仕方ないのかも知れないけど、そんな顔されるとこっちとしても自分が馬鹿言ってるような気分になるじゃない」
 実際に訳わからん事を言ってるとしか思えないんだよ。て言うか無理やりに記憶を再生させる、って何か嫌な響きだな。脳に細工でもするのか? そうだとしたら秒で遠慮させて貰うとする。
 とにかくこうしていても埒があかないので、俺はベッドから重たい腰を下ろすと、そのままルナの隣を横切って、リビングへと向かう事にした。俺の部屋は一人暮らしには少しもったいないくらいのワンルームで、リビングと部屋が別々にあり、さらに物置部屋まであるという仕様である。当然風呂とトイレも別々だ。俺も色んな理由があってこんな無駄に広い部屋に住んでいる訳だが、今はその理由の説明は割合させて貰う。なんてったって話し始めるとやたら長い上につまらないからだ。
「で、結局朝食は食べるの? 食べないの?」
 後ろに付いて来るように、義理の妹ルナが問い掛けてきた。
 正直、朝飯と言われても久しぶり過ぎて実感がない。だが、腹は減っているのは間違いないわけで。
「ああ、食べるよ。せっかく作ってくれたんだろ。それじゃ食べないと勿体無い」
「へえ。案外律儀な所あるのね。感心感心」
 お前に感心されてもあんまり嬉しくないんだけどな。言われて嫌な気分はしないが。
 そんなこんなで俺はリビングに移動した。リビングにはコタツが置いてあるのだが、コタツ布団はすでに取っ払っているので、まぁようするにただのテーブルである。その上にはすでに食事の準備が行われているようで、なんともまぁ日本伝統の朝食だと言わんばかりの和食メニューである。
「和食か。っつーかルナって外国人じゃないのか? 名前からして略称っぽいからそうだと思ったんだが」
 ここで初めてルナの外見に目がいった。本来なら遅すぎるが、先程まで訳が解らない現実に直面していた為、そこまで気が回らなかったのだ。そこはご了承戴きたい。
 ルナは外見はそこまで外国人らしくはなく、外国人っぽい特徴は強いて言うならその長い金髪だろう。肌は白いし、顔付きも実に日本人っぽく見える。ハーフか? そこまでは解らないが、とりあえず美人だとは思う。今となっては少々癪だが、第一印象では可愛い女の子だと思った訳だし。実際外見だけで言えば可愛いのだから別に文句も何もないのだが。
「わたしの事、そんなに知りたいの?」
 何とも意味深な返事をされてしまい、俺は少し動揺してしまった。駄目だ、ペースに乗らされてはその内いつの間にか骨抜きにされてしまうんじゃないか。
「別に話したくないなら話さなくてもいいけどな。ただちょっと気になっただけだ」
「少しは気になるんだー。へえ、ふうん?」
 俺は段々コイツの性格が解って来た気がするぞ。あまり理解したくはなかったが。
「まぁ、今はまだ話せないかな。そのうち話してあげる」
 なんだ勿体付けやがって。まあいいか。少々残念だがまたの機会に取って置くとしよう。別に今すぐ聞きたいような事でもないしな。
「とりあえずその辺座ってなさいよ。すぐ用意したげるから」
 それだけ言って、ルナは台所へと背中を向けて歩いて行った。そんな彼女に俺は適当に相槌を打ってから、リビングの中心にあるコタツの適当な場所に座る。
 ……って、おいおいちょっと待てよ俺。
 すっかり馴染んでしまったんだが、俺はこのままでいいのだろうか。なんだか流れに流されてしまったような気分になって来た。大体、俺はいつの間にあの無茶苦茶少女ルナの兄になる事を承諾したんだよ。やべぇ、もうすでに脳内の洗脳が始まってしまっているんじゃないかと思うくらいの勢いだ。
 別にこれと言って嫌な気分ではない。一人暮らしも寂しいと思っていた頃にこんな可愛い少女(性格云々はこの際その辺に放置して置く事にする。あくまで前向きにが俺のモットーの一つだ)と同居出来ると言うのだからそれはそれでおいしい状況だとは思うよ。ああ、そこは否定しないさ。俺だって一応男なんだからな。
 でもそれとこれとは話が別だろ?
 まず俺は事態がまだ理解しきれていないのが原状であり、正直な話彼女の話をこれっぽっちも信用していない。魔法使いなんて実在するとは一ミリも思っちゃいないし、彼女がそうだともてんで思えない。
 さてどうしたものか。このまま流されて、可愛い(何度も言うが性格は別だ。あくまで外見が)女の子と同居生活に励むのか。それとも今すぐ彼女を部屋から追い出してしまうか。
 解らん。
 正直に言おう。俺はこのまま彼女と今すぐはいさよなら出来るとはこれっぽっちも思っていない。言って聞くような相手でも状況でも無さそうだからである。
 ならどうすればいい、俺にどうしろってんだ。もう何もかも解らなくなって来た。このまま流されてしまうのが一番楽なのだろうけれど、それはそれで疲れる未来が超能力者でもなんでもない俺にだって視えるぞ。未来視ってやつだ。この場合は予知だけど。
「何へんな顔してぼおっとしてるの?」
 などと試行錯誤している間にすでに朝食の準備は終わっていたようで、目の前に座っている自称魔法使いルナが俺の顔を見つめながら怪訝そうな表情で呟いた。
 俺だって別にしたくて変な顔をしてる訳じゃない。それなりに悩んでるんだ。今の現状を把握するだけで精一杯だよ、俺には。
「何でもない。それじゃ、戴きますっと」
「戴きます」
 ここは行儀よく、両手を合わせてまずは朝食を戴くとしよう。これでも俺は恩義は忘れない人間だ。こうして朝食を作ってくれたのなら、何も考えずにありがたく戴くのが俺流である。
 箸を掴み、目の前にある焼き魚へとその矛先を向ける。うむ、いい感じに焼きあがっているじゃないか。これは上手そうだ、と。
 パクリと一口、焼き魚をほぐして頬張った。ふむ、これはなんとも――
「う、あがァあああああああああああああああああおォえええええええええええええ!?」
 待てなんだこの味は、とてもではないがこの世のものとは思えん!
 俺は近くにあったティッシュペーパーを即座に二、三枚取り出して、そのまま口の中の異物を吐き出した。
「ちょっと何よいきなりっ、人がせっかく作ったものを!」
 待ってくれ、まずは俺にも弁解させろ。その前に口の中をすっきりさせるのが先だが。
「う、うう。はあ」
 俺はコップに注いだ水を飲み干すと、なんとかマシになった口を開く。
「あ、あのな……。お前、それ味見したのか?」
「はあ、毒見なんてする訳ないじゃない。自分で作ったものなんだから、安全性ばっちりに決まってるでしょ」
 いや、毒見じゃなくて味見だ味見。ああもうそれくらいはしてくれよ、頼むから。
「食べてみろ」
 俺はそれだけ言って、俺が食べた焼き魚をルナの目の前に差し出した。彼女はキョトンとしながらそれに箸を向けて、
 ぱくっ、と一口。
「どうだ?」
「――う。……ごめん、ちょっと水」
 ほらな、言わんこっちゃない。普段から他人に作って貰った食事なんて吐いたりなど決してしない行儀の良さが自慢の俺が吐くくらいなんだ。その味は尋常じゃない。つーか、なんで焼き魚がこんなに酸っぱいんだ。おかしいだろう。
「はー……。ねえ、何これ?」
「俺が知るか馬鹿」
「うーん、やっぱり隠し味のアレがまずかったのかなあ?」
 隠し味だって? 大抵の初心者はそう言うオリジナリティを求めようとする行為が料理を失敗に導くんだよ。つーか何を入れたんだ、聞いてみるか。
「で、何を入れた?」
「それ」
 ルナが指すその場所には、レモンの香りがどうのと書いた――
「それは洗剤だ馬鹿!」
 なんてベタな失敗をしてくれるんだコイツは、思わず立ち眩みが……。
「うー、そんなの知らないんだから仕方ないじゃない。料理だって初めてなんだから」
「初めて? どうして今までやった事ないのにやろうと思ったんだよ」
 と、ここまで自分で言って置いてそろそろ可哀想になって来た――などと思うのは俺が甘いからだろうか。俺も存外お人良しである。
「いいじゃない。したくなったんだから」
「あのな……いや、もういい。とりあえずこの魚は食べれたもんじゃないから、捨てるぞ」
「う、うん。……あの、ごめんね」
 ふう、まったく。
 俺は二人分の焼き魚を捨てに台所へ持って行きながら溜め息をついた。
 にしても、素直に謝るなんてこいつも可愛い所があるじゃないか。それに免じて今回は許してやってもいいかな。次やったら承知しないが。
 ……と、また俺は馴染んでしまってるんだが、もう気にしない方がいいのだろうか。考える事すら面倒になってしまいそうだぞ、このままだと。
「ねえ、兄さん」
 ルナが何やら言いたそうな表情で俺を呼んだ。その兄さんってのがどうにも慣れないんだが、俺も名前で呼んで貰うようにした方がいいだろうか? などと考えていると、
「おかず、さっきの焼き魚しかないんだけど。……どうする?」
「あー……。ま、となると今日は朝食抜きだな」
 結局そうなる訳だ。俺はいつもの事だから別に気にはならないけどな。
「むー、次は失敗しないんだから」
「次がある訳ね……」
 俺は適当に受け答えしてから、そのまま食べる事のなかった朝食を片付ける為に、リビングのコタツの上に置かれた茶碗の中に盛られた白飯を釜に戻す事にした。
 お生憎様、ふりかけさえもこの家にはないんでね。白飯だけで食卓を飾れるとは思えないわけさ。
 そう言った朝を過ごしている俺は、さてこれからどうしたものかと考えていた。
 今日は平日、金曜日なので学校はあるわけで。ちなみに俺は高校生で只今二年である。あと一年以上学校に通わなければいけないのが毎日思うがダルい訳で、今日も学校へ行くのが辛いってのは変わらないのだが、さて今日はそれとは違う悩みが俺には存在しているのは言うまでもない事だろう。
 俺の妹になると宣言したこのルナという少女。見たところ年齢は俺より一つ二つ下くらいだろう。学校には行っているのだろうか。俺の学校では外国人が通っているなんて噂は聞いた事がないが。
 やはりここは本人に問うのが一番だろう。
 白飯を釜に戻し終えると、俺は台所からリビングへ戻るなりそこに座っている少女に向けて声を掛ける。
「さて突然だがひとつ聞きたい事がある」
「はあ、何?」
「ルナって何歳なんだ?」
 ……、と少々の沈黙の中、お互いに見つめ合った後、
「わたしの事、聞きたいの?」
 またそれか。まさか年齢すら秘密だなんて言うんじゃないだろうな。ちなみに俺は十七歳だ。まさか俺より上って事はないだろう。妹だなんて言うくらいなんだからな。良くて同い年か少し下くらいだろ。見た目からしてもだ。
「なんてね。ま、年齢くらいなら別にいいか。わたし、十四歳よ」
「はい?」
「え、だから。十四歳だってば」
 俺がそれほど信じられなさそうな顔をしているのだろうか、ルナは少し不機嫌そうに、
「何よ、そんなに信じられない?」
「……いや、だってせいぜい俺より一つ二つ下ぐらいだと思ってたから。正直、驚いた」
「そうでしょうね。ま、わたしと初めて会った人は大抵そう言うわよ。君は年齢不相応だ、ってね。でも外見で人を判断するのは良くないと思うわ」
 そう言うつもりで言った訳ではないのだが、確かに見た目は俺と同い年だと言っても全然問題のないレベルだから、俺と三つも離れているとは到底思えないのも本当であり、と言うか性格だって年齢不相応だと思ったりするのだがそれは言わないで置こう。しかし十四歳か、だから妹と。なるほど、それなら納得出来るものがある。
「何よ、今更になって納得したような顔しないでくれる?」
「見た目で判断するのは良くないぞ。俺はそんな事考えてない」
「……むー」
「にしてもアレだな。俺と三つも離れてるのに、えらく態度がでか――って、冗談だよ冗談。そんなに睨むな、無駄に怖いぞ」
 本人にとっては軽いコンプレックスなんだろうか。これ以上年齢に関する話題をしているとその内本当にキレられてしまいそうだ。そろそろ止めた方がいいだろう。
「ま、気にする事はないんじゃないか。それくらいの年齢で丁度いいだろ。俺の妹になるってんならな」
「ふーん。その様子だと、もうわたしが妹になってもいいって感じね」
 え。まあ、確かに言われてみればもうすっかりその気になってしまっている俺がいる。
「徐々にわたしの魔法が効いてきてるのかしらねー」
「本当にそうだったら俺はお前の魔法とやらを信じてやってもいいが、多分違うぞ」
 単純な話だ。
 俺はこいつに何だかんだと言いつつも親近感を得ているのだ。出会って間もない少女であるルナに。心の中で、こうした朝も悪くはないと思えてしまっている。たぶんそれだけさ。惚れた腫れたなんて話ではなく。第一、十四の少女に欲情なんかしたらそれはちょっと危ないだろうし。まあ、だからと言って全てを信じている訳ではないのだが。
「いいさ、俺が思い出せば全て信じられるって言うなら、思い出すまでとりあえずここにいてもいい。そんで俺が思い出して、全部理解した上でもう一度考える、それでどうだ?」
「そうね、いいわ。わたしの提案を断るような事があったらその時はその時で別の手段もあった事だし。貴方がそれでいいならわたしはオッケイよ。うん、なかなか上手くやっていけそうな気がするわ」
 俺は不安だけどな、とは言わないで置こう。
「それじゃ、これから宜しくね。兄さん」
「ああ。と、それから俺の事は昴でいいぞ。その呼ばれ方はさすがに慣れない」
 たとえ妹と言う設定であってもルナに兄だと呼ばれるのには抵抗があった。その理由なんてのはすぐには浮かばないが――まあ、なんとなくこそばゆいものがあったんだろう。己の事ながら曖昧なのは多分気のせいさ。
「そう。それじゃ改めまして――」
 そうしてルナは一息、俺に向かって微笑みを見せて、
「宜しくね、昴お兄ちゃん」


 もっと酷い呼び名になってしまった。