魔法使いは月に照らされて/第二章

 どうして着いて来るの? 
  どうして逃げ出さないの?
   どうして貴方は立っていられるの?


  第二章/魔法少女とスクール・ライフ


 さて、そんなこんなで俺こと月城昴は厄介な自称魔法使いであると言う少女、ルナの兄貴役を演じる事となってしまったわけである。一応期限付きとは言え、自分でも早計な判断だったなとは少し反省するべきではあるものの、こうなってしまった以上は仕方がない。上手くやっていくのみである。
 だけどな、どうやったってどうしようもない事くらいはあるんじゃないか?
「わたしも行くわよ」
 俺が学校の制服に着替えている途中、いきなり問答無用で俺の部屋へずこずこ入り込んできたその少女・ルナは、何を血迷ったのかいきなりこれまた意味不明な言葉を俺に投げかけてきた。
「行くとは?」
「学校よ学校。『わたしも』って言ってるんだからそれしかないでしょ」
 そりゃ解るが。
「ほう、ルナも学校に通ってるのか。魔法使い様でも学校なんて庶民的な所に通うもんなんだな。これまた一つ勉強になった」
「ばか、違うわよ。わたしは今んとこ学校なんて通ってないわ。でも貴方を監視しなければいけないと言う意味では、わたしも貴方と四六時中とまでは言わないけど出来るだけ一緒にいたほうがいいでしょ?」
 それはそうかも知れない。でもどうやるんだ。さっき聞いたがコイツの年齢は十四歳で、俺とは三つも離れている。行きたくても俺と同じ高校ではなく中学が関の山で、どうあがいても俺と一緒にはいられないと思うんだが、どうだろう。
 俺が何を考えているのかは俺の顔を見れば解るのだろうか、目の前にやる気満々な表情で立っている暴虐無人少女ルナはこれまた自身満々な笑みを浮かべて、
「無理だと思ってるでしょ。わたしが誰だか忘れたの?」
魔法少女ルナちゃん」
「へんな呼び方しないでいいからっ。……ま、それは置いといてわたしは魔法使いなわけよ。だから別にそれくらいの事はどうとでもなるわけ。解るかしら?」
 未だ魔法使いと言う存在を信じていない俺にとって理屈も何も解らないのに解るかと聞かれても何も解りませんと答えるしかないわけだが、そう答えた所でこいつにとっては満足の行く答えではない事は解っているし、ここは黙って聞いておいてやろう。
「いい? わたしは幻覚を見せたり錯覚させたりして人や動物を操作するのが得意な魔法使いなのよ。だから、例えば学校で一番偉い人に『月城ルナと言う生徒は確かに存在している』と錯覚させて、書類もちゃんと用意させればいいだけの話なわけ」
「それは気味の悪い魔法だな、おい。子供の夢を壊すような事はするなよ」
「う、うるさいわね。事実そうなんだから仕方ないでしょ」
 魔法使いと言ってもなんとも現実的、と言うかファンタジー要素に欠ける魔法なんだな。もしかしてそれが普通なのか? いや、別に魔法使いの存在を肯定するわけではないが。
 ようするにルナが言いたい事はこう言う事である。
 まずルナは何食わぬ顔で普通に登校し、学校の一番偉い人間――まあ校長だろう――にその得意の魔法とやらで洗脳を行い、自分をその学校の生徒に仕立て上げ、それからは俺と共にさも当然のように登校生活を繰り返すと言うわけか。
 いや、待てよ。それだと色々また問題が起こるんじゃないか?
「言いたい事は解るわ」
 ルナは考え込んでいる俺の顔を見ると、またもや表情で俺の考えている事を読んだのだろう、だがそんな事は心配ないといわんばかりの顔で、
「わたしは今日転入してくる転入生、って事にする。それなら問題ないでしょう。ま、事前に知らされるはずの先生達なんかは全員洗脳しちゃう事になるわけだけど」
 つまり、コイツは学校の教師全員まとめて洗脳しちまうって言っているわけか。俺にはそれが可能なのかどうかは解らないし、正直出来るとも思っていないのでそれはどうでもいい事ではあるのだが、それでもやはり心配にはなる。
「大丈夫なのか?」
「大丈夫よ。昴には何故か効かなかったけど、これでも得意分野だし。失敗したのだってもしかすると今日が初めてくらいの勢いよ?」
「違う。洗脳した人達の事だ」
「ああ、そっち? 心配性ね。別にそれ以外に副作用なんてないわよ、普通はね。わたしは今日転入してくる予定だったはずだ、って意識を植え付けるだけだし」
 本気で言っている、と言うのはルナの顔を見れば解る。解るんだが、やっぱり信じられないのに変わりはない。もし今日学校でコイツと出くわして、コイツが何食わぬ顔で学校生活を送っていたとしたら――信じるしかないのか? いや、それは早計すぎると言うものだが、それでも魔法なんてものの存在の可能性を否定するのは難しくなるだろう。
 魔法使い、ね。そんなものが本当に存在するんだとしても、俺にはそれ以上にコイツの考えている事の方が理解出来ないな。どうしてそこまで俺に執拗になる? 秘密と言うのはルナが魔法使いだって言う事だと聞いたが、俺がそれを知っているからと言ってやたらめったにその力を使いまくっちまって何の問題もないんだろうか。下手するとばれるんじゃないだろうか。どうでもいいけど。
「まあ、こればっかりは実際にやって見せないと意味がないわね。ほら、さっさと着替えなさいよ。わたしは私服しかないからこのまま学校に行くけど、向こうの購買かなんかで制服買って着替えるから問題ないし。時間には余裕を持って登校するのが一番よ。ま、今回は出来るだけ人が少ない間に事を済ませたいって言うのもあるんだけど」
 本人はすでにやる気魔人と化していて、どうやら俺が何を言った所で無駄なようである。仕方がない。俺はいつものように制服に袖を通す。そう言えば春ももうすぐ終わりだからそろそろ夏服になるのか。まあまだ先の話だろうけどな。
 などと考えている内に準備は完了、いざ登校である。
 俺は玄関まで歩いて行くと、後ろに着いて来るルナを無視して靴をせっせと履き替え、さて行こうかと扉を開いて外へと脚を踏み出そうとしたその矢先、
「さ、行くわよ」
 ルナも靴を履いて後ろに着いて来ている。待てよ、まさか一緒に登校するつもりか?
「オイ、その格好で一緒だとさすがに怪しまれないか?」
「大丈夫。だって転入生よ? 月城昴の妹、月城ルナじゃない。誰かと会っても今日から転入してくる事になった妹だって説明すればいいわ」
 それはまた……無茶をおっしゃる。
「俺がそう説明したって、俺には元から妹なんていなかったんだし誰も信じるわけないんじゃないか? それもまた、お得意の魔法とやらで片付けてしまう気か」
「うーん。それでもいいけど、別にそこまでやる必要はないんじゃない? 簡単な話よ。海外へ留学していたはずの妹が突然帰ってきた、これだけで大抵の人間は信じるわ」
 それはそうかも知れないが、一人だけ例外がいるのである。
 俺に幼馴染がいる事は冒頭辺りでほのめかしていたのだが、まさしくそいつは俺の家庭の事情ならなんでも知ってるし、無論、俺に生き別れの妹なんてものがいるなんて事は知らない。まず説明したって信じてくれないに決まっている。
「ま、それでも信じられないような人がいるんならその時はわたしが何とかするし、大丈夫。いけるわよ」
 俺としてはその得体の知れない力の矛先を幼馴染に向けたくないと言うのが本音なのだが、とてもではないが普通に言い聞かせた所でこんな与太話を信じてくれるわけがない相手だと言う事は歴然なので、ここは不本意ではあるものの、その魔法とやらの力を借りるしかないようである。
 まあ上手くいかなければの話だし、何かの間違いで信じてくれるかも知れないからまずは普通に説明してみるとしようか。
 さて、俺の部屋はとある住宅街にあるマンションの一室である。
 俺はマンション内にあるエレベーターで部屋のある七階から一階まで降りると、ルナと二人でマンションのオートロックドアから外へと繰り出した。清々しい朝の空気が心地よい。どれくらいぶりだろう、こんな余裕を持った登校なんてものは。
「あー、気持ちいいっ。温度も丁度いい感じだし、やっぱ春はいいわねー」
 んー、と背伸びをしながらルナがさぞかし気持ち良さそうに言った。
 確かにこの季節が一番好きだな。これがもう少しすると灼熱地獄に成り代わってしまうのがかなり名残惜しくなる。ちなみに一番嫌いなのは冬なのだが。
「うし。んじゃ行くわよっ、昴お兄ちゃん!」
「……言い忘れてたけどその呼び方はやめろ」
 俺はまだ人気の少ないいつもの通学路に向かい、ルナと言ういつもは居ない少女を連れて、学校へと脚を運ぶ事にした。

  ◆

 何の偶然か、特に誰とも出くわす事なく校舎に入り込む事に成功した俺達は、入り口付近でそのまま別れ、俺は一人二階にある自分の教室へと向かって行った。ルナは当然のようにまずは職員室だろうか。場所は教えたものの、迷っていないかどうか少々心配でもある。まぁ大丈夫だろうけどな。
 いつものように馴染みの階段を昇って、俺は自分の教室、二年B組と書かれた札のあるその前に立つ。まだあまりクラスメイト達はいないようだった。それもそのはず、今日は一番乗りと言ってもいいくらい朝早い登校をしたのである。ふむ、なんとも複雑な心境だが悪くは無いな。さぞかし周りの反応が楽しみだ。
 ガラガラと古ぼけた扉を横にスライドさせて教室内へと入っていくと、そこには一人の女子生徒がせっせと掃除をしていた。
「うーっす、沢宮さん。朝早くからご苦労さん。いつもこんな時間からいるのか?」
「え? あわ、月城くん!? ビックリしたー。一瞬だれだか解らなかったよぅ」
 彼女の名前は沢宮花凛《さわみやかりん》。ウチのクラスの委員長であり、俺の数少ない女友達ってやつだ。かと言って別にこれといった仲でもなく、たまに食堂でメシ食ったり勉強教え合ったり他愛もない世間話をする程度の関係である。
 容姿はかなり良く、正直言って彼女を狙っている男子はクラスの大半は占めているんじゃないかと思えるくらいだ。その肩までかかるぐらいの茶色の髪と、少し幼さの残る清楚そうな顔付きは、見るものを魅了して――って、俺は何を脳内で語ってるんだか。
「朝早いね、今日は雨でも降るのかな?」
「はは、それは困るな。今日は傘持って来てないから」
 そこはすかさず冗談に冗談で返す俺だが、
「もし降ったら私の貸してあげるよ。あ……でも一つしかないから、その……」沢宮さんは気恥ずかしそうに、「い、一緒に帰る事になっちゃうかも。それでも良かったらいいよっ」
 と、こうして本気なのか冗談なのか解らない受け答えをするので、話していて飽きないのも彼女の良い所の一つだ。にしても一緒に一つの傘で帰る、ってのはさすがに周りの目線が怖いぞ。特に彼女となら尚更である。や、嫌ってわけでは決してないけれど。
「あはは、うん。冗談だよ。本気にしちゃった?」
「まさか。沢宮さんが俺なんかと一緒に帰ろうだなんて言うとは思ってないよ」
「え? あ……そう、なのかな」
 すると、何故だか俯いて何やら後悔したような表情で目線を反らす沢宮さん。む、何かまずい事でも言ってしまっただろうか。
 と、俺が怪訝そうな顔をしているのにすぐさま気が付いたのか、彼女は慌てて、
「あ、なんでもないよっ。そ、それより本当に今日はどうしたの? いつもなら遅刻ぎりぎりだーっ、とか言いながら教室に駆け込んでくるのに」
 話題を反らされた気がするが、まあいいか。彼女なりに気を使ったのだろうし。
 さて、なんと説明したものか。たまたま偶然に朝早く目が覚めた、で通るっちゃ通るんだろうが、今のうちに仮の妹となったルナの事を彼女に説明しておいたほうが後々楽なんじゃないかとも思えてくる。そうだな。別に減る事じゃないし、純粋な彼女なら多分信じてくれる事だろう。俺は説明する為の言葉をいくつか思い浮かべて、
「実は昔生き別れた妹がいてさ、そいつが昨日帰ってきたんだが何でか同居しちまう事になっちまったんだよ。んでそいつに朝っぱらから叩き起こされたってわけ……なんだが、どうだ?」
 我ながら嘘を吐く罪悪心に苛まれつつも、そんな俺の話を真剣に聞いていた彼女は、
「そうだったの? 月城くんに生き別れた妹さんがいるなんて知らなかったなあ。でも良かったね! またその妹さんと一緒にいられるのようになるって事は良い事だと思うよっ」
「あ、ああ。うん。ありがとう」
 ううむ、ここまで素直に信じてくれるとはさすがに思っていなかった。
「ちわーっす、委員長! ……ってあれ、なんで月城がいんの?」
 と、俺と沢宮さんが会話している所に一人の男子生徒が扉を開けて教室へと入ってきた。そいつはさも俺がここに居る事が不思議そうな顔でこちらを見つめながら、
「珍しい事もあるもんだなあ、お前が俺より早く来るなんて」
「うるせえ。俺だってたまには早起きする事だってあるんだよ」
 コイツは御門亮介《みかどりょうすけ》。沢宮さんと同じく、俺の学友である。つーかこいつはこんな朝早くから毎日登校してやがんのか? 初めて知ったぞ。
「おはよう、御門くん」
「おはよーさん。で、こいつどした?」
 あからさまに俺の方を指差しながら、まるで居てはならないものが何故ここに居るのか教えてくれと言わんばかりの表情で御門は沢宮さんに問い詰めていた。おい御門、お前は人を指で差すなと親や先生に教わらなかったのか。この不良生徒め。
「あ、月城くんは生き別れの妹さんと同居中なんですよー。それで今日は朝起こしてもらったみたい」
「はあ……こいつに妹なんていたのか? いやいやいるわけねえよなどうせただの妄想だろこの二次元中毒者め、やーい幼児性愛者《ロリコン》」
 こいつ、言いたい放題言いやがって。
「あのな、俺だってつい最近までは知らなかったんだよ。まだ物心の付かない頃にすでに海外へいっちまってたらしくてさ。最近、つーか昨日になっていきなり俺んちまで来て一緒に住まわせろだなんて言うんだから俺自身未だに動揺してるわけだ。妄想かどうかは俺だって自分の脳みそを詳しく解析して現実を知りたいわけだが、少なくとも俺に妹らしき人物がいるっつーのは今現時点では事実だとしか言いようがない」
 なんて俺の長ったらしい虚偽説明(脳内を詳しく調べてみたいのは割とマジだが)をふんふんとどうでも良さそうに聞いていた御門は、突然ニヤリと気味の悪い笑みを浮かべると、
「じゃあ丁度いいや。今俺彼女いねえから紹介しろよお前の妹さん。お前の妹なら別に問題ないだろ?」
「お前はいっつもそっち方面に話を持っていきやがるから嫌いだ」
「あはは、冗談だっての! でもよ、本当にお前に妹がいたならおいしい思いしてんじゃねーの。お前の話を聞く限りじゃ気持ち的にゃ他人も同然だし、そんな女の子と同居だなんて羨ましいぜ」
 そうか羨ましいか、ならお前に役目を譲ってやっても良いぞ。……いや、やっぱ却下。
「そんな目で見るなよ。でも羨ましいっつーのはマジだぜ。あー、俺にも彼女がいればなあ」
「あ、沢宮さん。そう言えばさっきまで掃除してたけど、もういいのか?」
「おいこらてめぇ無視かよ!」
「あ、えっと、あとちょっと掛かりそうなんですけど」
「じゃあ手伝おうか。えっと、箒もう一つあったよな。どこにあったっけ」
「ほんと? ありがと月城くんっ。あ、こっちだよこっち」
 部外者約一名を完全放置して、俺は沢宮さんと教室の掃除にいそしむ事にした。こっちのほうが今の時間を過ごすにはよっぽど有意義だろう。あの女好きのくだらない話を聞いているよりかは確実に。

  ◆

 さて、そんなこんなでクラスメイト達も増え始め、時刻はホームルームの時間へと差し掛かっていた。いつもの如く、担任の女教師ある波上葵《はじょうあおい》先生は何故か時間になるまで教室にて生徒達とのコミュニケーション活動(本人はそう言い張っているのだが、正直どうみてもサボっているようにしか見えない)にいそしんでいて、何やら転入生がどうのと言う会話が少し聞こえてきた気がする。
 ふむ、その調子だとルナは全教師の洗脳に成功したんだろうか。魔法なんてものを使ったかどうかはこの際どうでもいいが、なかなか手際はいいように思える。
 なんてったって、この学校の教師全員だからな。それは一筋縄ではいかないと思う。
 ホームルーム五分前になると、担任の波上先生は職員室へと戻っていった。一体あの人は何をしているんだろう、本当に教師なのかと疑いたいくらいだ。他の教師達は一体どんな目で彼女の事を見ているんだか。生徒と自主的にコミュニケーションを取るのはまったくもって良い事だと言ってやりたいが、せめて休憩時間とか昼休み中くらいにしておかないか、と言う突っ込みはもう今となっては誰もしない。
 俺は自分の机で頬杖をつきながらホームルームの開始を待っていた。ルナは俺の妹だって言う設定なんだからひとつ下の一年何組かに転入するんだろうな、などとどうでも良い事を淡々と考えている内に我らが担任、波上先生が教室へとやって来た。と言うか戻ってきた。いつも通りのニッコリスマイルを浮かべた美人教師である。前に年齢を聞いたが二十代前半だとしか聞き出せなかったな、そう言えば。
「はーい、皆さんおはようございます」
 これまたいつも通りの挨拶である。すでに一度会っているのだが、なんて言う突っ込みもこれまた誰もしなくなった。日常茶飯事の出来事には次第に誰も何の疑問も持たなくなってくるのさ。俺はと言うと、いつも遅刻ぎりぎりに登校している為かあまり彼女とはこのホームルーム以前の時間に会う事は少ない。だから少しまだ疑問を浮かべる程度の余裕は残っているわけだ。
「今日は皆さんに重大なお知らせがあります!」
 何を改まって、と俺は頬杖をついていた右手を直して話を聞く体制に入ってみる。
「今日、朝に先生とお話していた人は知っているかもしれませんが、今日は転入生さんが一人このクラスにやってくる事になりました!」
 はあ、転入生ね。可愛い女の子がいいなあ。
「もうすでにその扉の向こうにきているので呼んでみましょう。入ってくださーい!」
 ガラガラと扉が開かれ、その向こうからは見慣れた金髪の少女が――っておい、ちょっと待ってくれ。
 サラリとした金髪を靡かせながらゆっくりと静かに教壇の前に立つと、どこからどう見ても俺の知っている自称魔法使いなその少女・ルナは、周りの注目を浴びながら一息ついた後、後ろにある黒板に白いチョークで名前を書き始めた。月城瑠奈《つきしろるな》――あえて漢字なのは、そうしないと無駄に疑われる可能性があるからか?
「初めまして。この度この学園に転入する事と成りました、月城瑠奈と申します。少し複雑な事情がありまして、海外からの転入で少し戸惑う事や解らない事が多々あるとは思いますが、どうぞ仲良くして戴ければと思います」
 ざわざわと教室内がどよめき出す。完璧な優等生ぶりを発揮した挨拶を終えると、その金髪少女ルナは俺の方をチラッと見てムカつく微笑を一つ送ってきた。
 そんな馬鹿な。まさか同じクラスに転入してくるとまでは完全に予想外だ。くそ、だが確かに有り得た事だと言うのにどうして気付けなかったんだ。そもそもこの学校に通う目的は俺の監視だっただろうに。失態だ。無駄に精神的ダメージを貰ってしまった。
「瑠奈さんは苗字を見ての通り、このクラスの月城昴くんの双子の妹さんだと言う事です。皆さん、是非手を取り合って彼女と仲良くしてあげましょう!」
 ……、これも全部お前の予定内の事なのか、ルナ。
「それじゃあ――月城くんの隣の席が空いてますね。そこでお願いします」
「はい、解りました」
 ああ確かに隣の席は空いてる、空いてるさ。でもこればっかりはさすがに偶然だぜ。席替えをしたのも大分前の事なんだからな。まさかここまで操作しているとは思えない。偶然とは恐ろしいものだと実感する瞬間だった。
「……上手くいったみたいね。宜しく、昴お兄ちゃん」
 ルナはスタスタとこれまた優等生ばりの優雅な歩き(こんなの見た目だけだ。この猫被りめ)で俺の隣の席までやってくると、小声で俺にしか聞こえない程度に呟いてきた。
 こいつ、やめろと言ったのに。これならまだ兄さんのほうがマシだ。この歳でしかも双子の妹(と言う設定なだけだが)にお兄ちゃんだなんて校内で呼ばれてみろ。周りからどんな目で見られるか解ったもんじゃない。
 で、教室内はと言うとまだざわめいていた。そのほとんどの視線は俺とルナへ向けられていて、何やら珍しいものを見るような目線をひしひしと感じる。うう、ここまで他人の視線が痛いと思った事はない。
「はい、皆さん静かにしてくださーい。それじゃあホームルームを始めますよー」
 かくして、俺はルナと同じクラスになってしまった。
 とりあえず一つだけ言いたい。ルナ、初めからそのつもりだったのなら前もって俺に教えておいてくれ。あまりに唐突過ぎて寿命が縮まりそうな気分なんだよ、今。

  ◆

 ルナがこの学校へ転入してきたと言う事実《スクープ》は、金髪で美少女で留学生だと言う事も相まって早々に学校中の噂となって広がる事となってしまった。うむ、いつも思うがこの学校はこう言う事に関しては情報の伝達速度が半端ないな。感心している場合ではないが。
 で、その転入生が二年B組の月城昴の双子の妹である、なんて情報がとっくに出回っているのも当然なわけで。それを聞きつけてまず疑問に思う奴は多々いるだろうが、そんな次元じゃない疑惑を抱く人物が実は一人だけこの校内に存在している。
 これで三度目だろうが、もう一度だけ言おう。俺には同い年の幼馴染がいる。それも、俺の事なら多分何でも知ってるんじゃないかと思えるくらいの奴が。
「こらーっ、昴! あんた一体何をしでかしたのー!」
 昼休み。さてこれから購買にでも行って飯にありつくとするかと重い腰を椅子から上げたその時だった。教室の奥側の扉が勢い良く開けられたかと思うと、その向こうから突然別クラスの女子生徒が半ば乱入するかのように飛び入ってきたのである。それも、俺に向けて奇声を発しながら。
「昴お兄ちゃん、あれ誰?」
 小声ですかさず隣の席のルナが聞いてきたので、俺は適当に、
「ああ、幼馴染の奴だ。多分あいつだけはどんな説明しても納得してくれないからその時は頼む。……あとお兄ちゃんやめろ」
 などと言う返事をして、すかさず今にも暴れ出しそうな幼馴染であるそいつの所へと向かった。
「うるさいぞ紅憐《くれん》。周りを見てみろ、こっちはついさっき授業が終わったばっかりだ。ちょっとは人の目を気にしたらどうだよ」
「うっさいわね、それよりどう言う事よ。あんたに生き別れた妹がいて今日転入してきた、とかさっき噂で聞いたんだけど。あたしの記憶が正しければ、あんたにそんな妹なんていなかったはずよ。どう言う事なの?」
 あー、こりゃ説明するまでもなく手が付けられんな。
 俺はちらりとルナの方へ目線を向けると、仕方ないわね、と言った表情でルナが近寄ってくる。
「こんにちは、わたしは月城瑠奈と言います。貴女は?」
 俺の幼馴染であるそいつは、むすっとした表情でルナを睨んだ。
「朝雛紅憐《あさひなくれん》! 言っとくけどあたしがこいつに関して知らない事なんてないんだから。あなたが何者かは知らないけど、何のつもりで昴に近付いてるわけ?」
 なんとも聞き取りようによっては恥ずかしくなるような事をさらりと言ってのけてくれる幼馴染こと朝雛紅憐だが、やはりコイツには何を言っても説得しようが無い事はルナにも理解して貰えたらしい。
 ルナがこちらに一瞥をくれるのを確認して、俺は軽く頷いた。
「あら、紅憐さん……ですか?『お久しぶりです。わたしの事、覚えていますよね?』」
 すかさずルナは鋭い眼光を紅憐に向けると、少し強調させた言葉を紅憐に放った。
「え? あれ? るな……って、まさか瑠奈?」
 おいおい、まさか今のが洗脳の魔法かなんかだって言うのか? まるで催眠術じゃないか。魔法使いって言うよりは超能力者か何かなんじゃないか、こいつ。
 と、俺が色々と考えている間に紅憐はすっかり荒れた気分も晴れてしまったようで、なんともまあこんなに上手くいっちまうとさすがに俺でも度肝を抜くというか、少しはルナの魔法ってやつを信じてしまってもいいかなと思えてくる。いや、魔法じゃなくて超能力か? この際どっちでも良いけどな。
 とにかく事実は認めなければならないだろう。先程まであれだけ騒いでいた紅憐が、
「あ、ごめん……なんで忘れてたんだろ。うん、久しぶりだね!」
 こんな具合だからだ。
「ううん、無理も無いわ。だってすごく昔の事だもの。でも良かった、思い出して貰えて」
 そんなやり取りを見つめながら、俺は口さえ開かないままただ呆然としているしかなかった。
 だってそうだろ? 目の前でこうまでされちゃ、何も言えないのは当然じゃないか。

  ◆

「で、どう言う仕組みだ?」
 紅憐が教室から帰って行った後、昼食である購買のパンとジュースを戴きながら、周りの生徒たちに聞こえない程度の小声で俺はルナに向かってそう問い出した。
「簡単。あの人……朝雛紅憐に『昔、月城瑠奈と言う知り合いが居た』と言う錯覚、幻覚と言ってもいいかな、それを植え付けたのよ。目には見えない力、魔法を使ってね」
「魔法、ね……。俺にはどう見ても、良くて催眠術のようにしか見えなかったんだがな」
 そう、確かに考えても見ればあれを『魔法』だと決め付けるのはいささか早いだろうと思う。あの程度なら催眠術で説明がつく。とてもではないが、魔法なんてファンタジー溢れるものだったとは思えない。ルナの魔法がそう言うものなのだとは何度も説教されてはいるものの、やはり突っ込まずにはいられなかった。
「ふうん。貴方は催眠術なら信じるんだ」
「ん、どう言う意味だよ」
「だってそうじゃない。催眠術って、それが一体全体どう言う仕組みなのか解るわけ? 普通の人は解らない。でも、世の中には催眠術なんて言葉は有り触れているわ。……まあ、これも言葉のトリックよね。『催眠術と言うものは存在する』と言うように思われている、周りがそうだと言うだけで存在自体を肯定する――それは人間の心理でもあるわけだし。集団無意識、ってやつね。それに比べて『魔法』って言うのは、言葉は知られていても事実存在しているかと言われればほとんどの人がしていないと答えるわ。それはその魔法と言う言葉、存在の扱いが世間ではあくまでファンタジックなものであるからよ」
 ふむ、難しいが理解できなくはない。
 ルナは言葉を続ける。
「わたしの使う魔法って言うのは、そう言った世の中が勝手に確定化《カテゴライズ》したような存在ではないの。もっと別次元、別意識の存在。わたし達のような魔法使いでしか理解できない、世間から隔離された技術――とでも言うべきかしらね。魔法、だなんて単語を使っているのは、まさしく魔法のようだからってだけ。実際はもっときちんとした理論があって初めて扱われる力なのよ。さっきの催眠術じみたわたしの魔法だって、そうね、一概に仕組みだけ考えれば世の中の言う催眠術ってものと大して変わらない。でも少し違う部分がある。そこ部分があるからこその『魔法』なの」
 その部分ってのがどう言う仕組みなのか、ってことが俺は聞きたいんだけどな。
 ルナはさらに言葉を続ける。
「例えば、催眠術は人間の意識を一定の場の空気や雰囲気、心理的な言葉、視覚的な動作、聴覚的な音などで対象の精神に干渉する。眠らせたいなら単純にそういった雰囲気を作り出し、眠くなるような言葉や目を疲れさせる振り子とか、心地のいい音やメロディを奏でたり……そういった、誘導するためのフィールドを作成、構築する。そうして初めて催眠術って言うのは完成するし、かかる。かからない人だっているけどね。かかりやすい人っていうのは単純に感受性が良いからとかそんなものよ。ここまでは、解る?」
 ああ、と適当に相槌を打ってみる。
 ルナはさらにさらに言葉を続ける。
「で、わたしの場合。さっきのやり取りを見てれば解ると思うんだけど、そう言った『動作』を何一つ行っていないでしょ。ただ一言、『お久しぶりです』と、『わたしの事を覚えていますか?』と言った、聞いただけ。これだけなの、わたしの場合は。それだけでわたしが植え付けたいと思った『錯覚』を彼女に与えた。わたしはこれを『言葉《ワード》の《オブ》魔法《マジック》』と呼んでいるわ。ようするに催眠術と違うのは、視覚的、客観的に見ると何の仕掛けも無い言葉だけの洗脳、ってわけ」
 ふむなるほど、よしここでようやく俺が口を開く番がきた。
「ようするに超能力か」
「違うわよ! もう、何度言わせたら解るの」どうやら少し怒らせてしまったらしい、ルナは口の先を尖らせながら、「あのね、『言葉《ワード》の《オブ》魔法《マジック》』に魔法って言う定義をつけるには確かに今の話じゃ無理があると思うけど、これはあくまで視覚的、客観的に見た場合の話。魔法だって定義されるからには、きちんとした見えない部分での理由があるんだから」
 へえ、それはなんなんだ? とは、俺が聞かなくとも勝手に語ってくれそうだった。
 ルナはまた言葉を続ける。
「魔法っていうのは、いろんな思想、いろんな構想、いろんな錯想があって生まれるもの。個人によって使う魔法って言うのはすごく差が生まれるし、それぞれがぜんぜん違うタイプの魔法使いって区別されるのが普通なの。逆に言えば同じような魔法を使う魔法使いが二人以上出てくるほうが稀ってくらい。でも、そんな魔法にもひとつだけ、本当にひとつだけ共通する点がある。それが『魔力』なの」
「魔力……ようするにMP《マジックポイント》みたいなもんか?」
 ゲーム的発想で横槍を入れてみる。が、当の語り手ルナ様は不満そうな顔で、
「当たらずとも遠からず、ね……。魔法を使うために消費するものって言う点ではおんなじだけど。魔力とは人間の中にある物質的ではない力の事を指しているの」ルナはそう言いながら教室の窓を左手で開いて、「これは物質的な力でしょ。物を動かすための力。普段、何気なく使っている力よね。……で、魔力っていうのはようするにそうではない力のこと。物質的ではなく別次元的な力、とでも言うのかしら。詳しくは難しすぎて説明しきれないけれど。ようするにそういった力が作用して初めて『魔法』と認定される。魔力が使われなければそれは魔法とは呼ばないの。だから、催眠術だって魔力を使われない限りは魔法じゃないし、少しでも魔力が使われればそれは立派な魔法なわけ」
 ……やばい、さすがにそろそろ頭がこんがらがってきた。
 ルナはまだまだ言葉を続ける。
「わたしの『言葉《ワード》の《オブ》魔法《マジック》』には、わたしの言葉自体に魔力が込められている。相手がその言葉を聞いた瞬間に、それをそうと信じ、錯覚してしまう――そうさせる力が込められているの。そうね、催眠術ってさっきも言った通りかかる人とかからない人がいて、それはその人の感受性の問題だって話をしたけど、わたしの『言葉《ワード》の《オブ》魔法《マジック》』の場合はそんなものを無視して強制的に幻覚を植え付ける。それが誰であろうとも関係なく。それが魔力を込めているおかげ。魔力を込めている証拠。魔力を込めている所以。だからこその『魔法』、そしてそれを行使するわたしこそが『魔法使い』ってこと」
「……ん、でもおかしくないか。その魔力ってのを込めていれば相手がなんであれ構わず確実に錯覚させられるんなら」俺は親指を自分に向けて立てて、「俺はどうなるんだよ。俺には一切合切その魔法とやらは効いてないじゃねえか」
 そう、それこそが俺の最大の疑問だった。
 確かに目の前でその力を使われ、それらしい説明も受けて信じてやってもいいとまで思えるのだが、そこまでだった。そこまでしか俺は思えない。『信じる』事ができない。未だに半信半疑でいる。それはきっと、自分が掛かっていないからなのだろう。実際に自分の身で体感しない限り、人間と言う生き物は完璧に信じる事ができない。
「それが、わたしも不思議なのよね……」ルナもそこだけが理解できないと言わんばかりの表情で、「わたしが本当の妹だと錯覚させるために『言葉《ワード》の《オブ》魔法《マジック》』を貴方に使ったっていうのに、いざ次の日になるとアレだし、昨日の事は忘れているし。今まで失敗なんてしたことがなかったから、正直すごく戸惑ったもの、わたし」
 昨日の記憶。
 確かに途切れている部分があるのは自分でも解る。昨日のうちにルナと出会っていたと言う事実だってそうだし、何をしたのか、何を見たのか、何があったのか――何も覚えていない。これだけは確実だった。だからこそ今のこの状況がどうしようもないのだけれど。
 俺は口を開く。
「昨日、いったい何があったんだよ。思い出せば全て理解できるってルナは言うけど、何があったのかぐらい聞かせてくれてもいいんじゃないか? そうすれば、もしかすれば思い出せるかもしれないし。脳みそいじくられんのは勘弁だけどさ」
「うーん。そうよね、そうなるわよね。まあいいんだけど。あー、……困ったわね」
「……はあ、何が困るんだよ」
「まあ、なんていうか。そう……実はね、わたしも詳しく覚えてないのよ」
 ……、今こいつ何て言った?
「ちょ、ちょっと待てよ。覚えてないって、それは」
「あー、ううん。覚えてないって言ってもほとんどは覚えてるのよ。わたしと貴方がどうやって出会ったのかとか、夜中にあった事とか、そのあと貴方に『言葉《ワード》の《オブ》魔法《マジック》』を使ったことも。覚えてないのは一箇所だけ。――わたしがどうして、どうやって、どういう過程で貴方に興味を持ったのかがいまいちわかんない」
 なんだよそれ、と思う。
 確かに、自分で言うのも虚しいけどこんな平凡高校生にこんな美少女(あくまで外見は以下略)魔法使いが目を付ける理由がわからない。
「でも、なんか心のどっかで気になってるのよね、貴方のことが。別に恋愛感情とかじゃないからね、先に言っておくけど。うーん、どうしてだろう。こんな冴えない人なのにねえ?」
「悪かったな、平凡で」
「まあそれだけね、あんまりはっきりしないのって。なんでだろ、自分の能力のツケでも回ったのかしら。あんまり深く考えるようなことでもないと思うけど。……で、何があったのか、だったかしら? まあ端的に言うと特に何もなかったわよ。ただわたしが戦ってたところを見られちゃったってだけで」
 戦って、いた?
 どう言う事だよ、と問い詰める前にルナは語り始めた。
「ようするに別の派閥の魔法使いが襲ってきたのよね。地位獲得のためかしら、結構強くて焦ったけど。なんとか撒いたみたいだしたぶんもう大丈夫だけどね。その戦いの一部始終を見られちゃったわけ。貴方に。それだけよ、うん」
「派閥、襲ってきた、地位獲得……って、どう言うことだよそれ……?」
「説明すると長いんだけどね。ま、簡単に説明すると魔法使いっていうのは普通、派閥っていう組織みたいなものに属してるの。その派閥だけど、いろいろあって違う派閥同士での闘争が絶えないのよね。特に扱える魔法の強力さに関して競い合ってる。確かにそうすることが目的で作られた派閥だけれど、ちょっと最近過激すぎると言うか、死傷者まで出してたりするわけ。それが、自分の魔法がそいつの魔法より優れているんだって証明するのに一番手っ取り早い手段だから。挑まれたほうも挑まれたほうで大変よね、そういった戦いとか強さを比べるだけのようなばか魔法使い相手にするのはほんと疲れるし。そもそもそういった部類が専門じゃない魔法使いだっていっぱいいるのに。今じゃ強ければ正義、勝った者のほうが優れている、みたいなレッテルが貼られてる現状なの。魔法使い=《イコール》戦う者、強さを求める者、みたいな。わたしだってそういった魔法が使えないわけじゃないんだけど、専門分野はそっち方面じゃないから困ってるわけ」
 なんだか、いつのまにか凄く物騒なお話になっている気がするんですけど。
 戦う魔法少女ルナは飽きる事なく続ける。
「んで、まあそうやって厄介払いをしてる時に貴方と出会ったってわけ。もちろん一部始終を見られちゃったみたいだったから逃げる時だって連れて行かないわけにはいかないし、そりゃもう大変だったのよ。うまく撒いた後は貴方の対処で忙しいし――もう忙しかったからかあんまり覚えてないけど、そんなこんなで結局貴方をどう対処するか考えた結果、今の結論に至るわけ。あんまり覚えてないとは言え、貴方をわたしが気にいらなかったら最悪殺してたかもしれない。まあわたしはそういう物騒なのって好きじゃないから、良くて派閥に送還してこっちの世界に引き入れるとか方法がないこともないけど、それもそれで他人の人生勝手にいじくりまわしてるみたいでいい気分しないし、結構悩んだのよ」
 今でも十分いじくりまわされているとは思うのだが、今の話を聞いていると最悪な結果にならないだけマシだったとも思える。もちろん、全ての話を信じるならば、だ。
「ま、大体そんな感じかしら。どう? 何か思い出せた?」
「いや残念ながらまったく。むしろ今の話を聞いて余計に疑い深くなったかもしれないってぐらい」
「……そう。ま、そのうち思い出すわよ。気楽にいけばいいわ。というかわたし的にはすぐに貴方の記憶が戻っちゃうとここまでした努力が水の泡だし、それなりに現状を楽しみたいし、別に今すぐは戻らなくていいんだけど」
 おい、それはさすがに俺が困る。
 まあこんな美少女(あくまで以下略)が妹だっていう、御門風に言えばおいしいシチュエーションなんてそうそう巡ってこないのだろうし、ここは流れに流されてみるってのも悪くはないと思うけどさ。でもだからといって、記憶が戻らなくていいって事にはならない。
「それにしても」不意にルナが口を開いた。まだ何かあるのか、と思いながら黙ってその顔を観察しながら、「……学校の購買のパンってこんなにも不味いものだったのね。パサパサしてるし具は安物っぽいし、それにこのコーヒーだってとてもじゃないけどコーヒーと呼びたくはない味よね。不味すぎ」
 まったくさっきまでの話とは関係のない、突拍子もなくて、割とどうでもいい話題を振られた。