魔法使いは月に照らされて/第四章

何それ、正義の味方でも気取ってるつもり?
笑わせないでよ、そう言うのって凄く虫唾が走るわ。


  第四章/夜に響く鈴の音色と共に


 夕食(と言ってもコンビニエンスストアで購入したおかずと白飯だけだが)を食べ終わった俺とルナは、各自好き勝手なことをしながら時間を潰していた。風呂には俺が先に入ることになって、その間、ルナはどうやらニュースを見ていたようである。ニュースといえば最近物騒な話題があったな、なんでも連続殺人だとか猟奇的だとか、そんな感じの。割かし近所での出来事だから結構びびってた時期もあったっけ。今ではすっかり忘却の彼方って感じだが。さっさと犯人逮捕に至って欲しいところだよ、まったく。
 俺がバスタオル一枚でリビングに出たらそこには案の定ルナがいて、そういやこいついたっけーっ! などと叫びながら慌てて着替えに戻ったりとなかなかスリリングな夜を過ごしつつ、そろそろ就寝という時間までやってきた。
 はいここで問題です。若き男女二人が一つ屋根の下で寝る場合、もしそんなスペースがひとつしかなかったらどうすればいいんだよちくしょう。
「なあ、お前本当にそこで寝るのか?」
 俺はベッドを指差しながら、すでに準備完了と言わんばかりにごろごろと寝転がっているルナに対して問うた。
「うん、そうだけど。何よ、不満でもあるわけ?」
「いやだってそこ俺の寝る場所……ふがっ、ま、枕を投げるな!」
「何口答えしてるのよ、いいからわたしはここで寝るんだからね。他にろくに眠れそうな場所ないし。……なにぼおっと突っ立ってるのよ、寝るんなら早く寝るわよ」
 ……、えっと。
「こんな大きいベッド使っておいて、まさか独り占めするつもりだったわけじゃないでしょうね、兄さん?」
 いやいや、そういう事ではなくてですね、姫。
「なによその不満そうな目は。疑い深そうな顔は。いいから早く電気消してくれない?」
 ああもう、だからそうじゃないんだってーッ!
 あまり言葉にしたくはないが、仕方あるまい。俺は恐る恐る、目の前の無防備《ノーガード》少女ルナに対して口を開く。
「……あのよく現状の理解ができないんですが、ようするに一緒に寝ろと言っておられるのでしょうか姫君?」
「ひめ……? 貴方が何言ってるのかいまいちよく分からないけど、ようするに兄さん一人でこのベッドを使うのは勿体無いからわたしも使うって言ってるんだけど?」
「ああそうかなるほど……ってつまりそう言う事じゃねえかあああああああああああッ!」
 なんてことだ。まさかこうも早く「お兄ちゃん一緒に寝よっ」フラグが成立するとは思ってもいなかった。……いや待て、とりあえず落ち着こう。さすがにそれは怖い。色々な意味で怖すぎる。俺だって健全な一般男子、こんなベッドでこいつと一緒に寝たりなんかしたらどんな間違いが起きてしまうかわからん。つーか起きて欲しくない。後が怖いから。
「……ルナ、それ本気で言ってんの?」
「はあ?」ルナは心底不思議そうに、「別にいいでしょ、それぐらい。これだけ大きいんだから狭いとも思わないだろうし。兄さんだけ寝させるのは癪だし、でもだからといってわたしが占領するわけにもいかないわ。じゃあ一緒に使えばいいだけじゃない、これ以上合理的な方法があるのかしら?」
「むう。まあ、そうなんだが……」
 ああ、そうか。俺は今ようやく気付いた。
 ルナは俺の事を完璧に男として見ていない。設定上で兄となっているからかそのようには接するけれど、それ以上の感情を持ち合わせていないんだろう。だからこそ、こうしてベッドを二人で使うだなんてことを平然と言ってのけるわけだ。
 なんだが知らないが、その事実に少し俺はいらついた。何故だか解らないけれど、なんていうか、とにかくむかついた。
「……オッケー。なら話は簡単だよな」
「はあ? 何言ってるのよ?」
「今からお前を襲う!」
「……何、え、ちょ。ちょっと待ってそれは……ッ!」
 がばーっ! と、俺はルナのいるベッドの上へルパンダイヴ決行。ヤケクソ気味にルナの身体目掛けて飛び掛ってやった。
「うわ、や、やだ止めてよちょっと! こ、こんなのナシなんだからぁ……!」
「ふふふ……どうだ、ちょっとは俺を男として意識する気になったか妹よ」
「はあっ? なるわけないでしょ、このヘンタイ!」
 どか、と思いっきり急所に蹴りを貰ってしまった。くそ、ただの冗談だっていうのに本気で蹴りやがったなあいつ。しまいにはベッドから落とされて尻餅の二段サービスときた。
「痛っつー……、じょ、冗談だって。あまりにルナが無防備過ぎるから――」
 瞬間、俺は見た。
 ルナが泣いていた。完膚なきまでに。こっちを睨みながら、枕を抱きしめて。顔を真っ赤に染め上げながら、黙り込んで。
「……お、おい。今のはだな、いわゆる兄妹間のスキンシップっつーか、その」
「ばか! 死ね! ヘンタイ!」
 顔面に何かが直撃。また枕を投げられた。そしてまたヘンタイと言われてしまった。
「あ……ルナ、ごめ」
「もう寝るんだから! 今日はこっちこないで!」
 扉まで閉められてしまった。
 ……やり過ぎただろうか。うん、さすがにやり過ぎか。これは明日の朝、土下座してでも謝るべきだろう。完全に完璧に最悪に俺のミスだった。
 でもなんだろう。さっきのルナは、なんだか凄く可愛かった。

  ◆

 そんなわけで、俺は一人リビングで眠ることとなった。一応、両親が生きていた頃に使っていた部屋があるっちゃあるんだが、あの部屋は使わない事にしている。両親が死んでから俺が決めたことだ。一度決めたことは簡単には曲げたくないし、一応枕はあることだし、リビングの床で寝転がりながら窓の外に見える星空を見上げるというのもまたオツなものだろう。
「ま、結局のところ俺はルナが好きなんだろうな……」
 何気なく呟いた言葉。だがそれは、紛れもない俺の心境を表していた。
「……は。会って一日……まあ正確に言えば二日か。それだけでいとも簡単に一人の女に惚れちまうもんなのかね、男ってのは」
 だが、それが俺の気持ちに変わりはなかった。
 今思えば一目惚れだったのかも知れない。まあ今となってはどうでもいいことではあるが、ルナにそれだけの魅力があることは確かだった。一日こうして一緒に過ごしただけだと言うのに、俺はいつの間にこんなところまできてしまったんだろう?
 妹、か。うん、もしかすると俺はルナのことを一人の女としてではなく、ただ単純に妹として好きなのかもしれない。そう思えば思うほど、だがその気持ちは偽りのように思えてくる。あの時感じたもどかしさは、そんなものでは言い表せない。
 ルナは確実に俺のことを男として見ていないし、きっとこの件が片付くのであれば、俺となんてはいさよなら、永遠の別れとなってもすぐに了承するはずだ。そういう事情が事情だから仕方ないけれど、それでも――やっぱり、それは何だか寂しかった。
 ああ、別に一人の女として俺の傍にいなくてもいいんだ。ただ今みたいな時間がずっと続いて欲しい、ただそれだけ。高望みはしないさ。そんな願いも、だがいつかは裏切られる。解っていても、俺にはどうしようもないんだから。
「……御門よすまん。お前の言っていたことは割と正解だったようだぜ」
 まったく自分が情けなくなる。たった一日二日知り合っただけの少女に、これほどの感情を抱いているなんて。
「ま、ここで自分の気持ちをはっきりさせとけば、後で後悔もしない、か」
 月城昴は。
 自称魔法使いで、自分より三つ年下の少女で、義理の妹である月城ルナが好きだ。
 そう、それが全てだった。
「オッケー、心の整理完了。……さて、そろそろ寝るか」
 布団もないので、しかたなく床に枕ひとつ置いてそこに頭を乗せる。窓の外は綺麗な星空が浮かんでいて、眺めとしては思っていた通り悪くない。
 すっかり辺りには誰もいないのか、車の走る音さえ聞こえない深夜。
 しん、と静まった空間で、俺が目を閉じたその時、

 ちりん、と鈴のような音がどこからともなく聞こえてきた。

 なんだ今の音は。外からか? いや、とてもではないがそうは思えない。何せここは七階である。外からそんな音が聞こえてくるとはあまり思えないからだ。それに、あの音色はまるで間近で聞くかのようにはっきりとしていて、何か印象強く脳裏に響き残っている。
 少し不気味さを感じた俺は、そのせいか完璧に眠気が覚めてしまった。何にせよ、音の原因を調べないとこのままじゃ眠れそうにもない。
 窓から外を見てみる。空になにかあるってわけでもないし、ベランダに何かいるわけでもない。猫かとも思ったが、よくよく考えればこのマンションはペット禁止なんだっけ、と思い出す。
 じゃあなんなんだろう。まさか下の地面から聞こえてきたってわけじゃないだろうし、と俺はベランダに出てまっすぐに下を見た。
「……、ん?」
 一瞬見ただけでは何かわからなかった。だが、そう――じっと目を凝らせば見える。人だ。人が確かにそこにいる。黒いフードのようなものを被っていてあまり顔は見えないけれど、確かに見えた。
 まさかあの鈴の音があそこから聞こえたんだとは思いたくないが、とにかくこんな深夜に人がいるのは絶対におかしい。入り口付近で突っ立っているのにも何かわけがあるのかもしれない。パスコードを忘れてしまって中に入れないとか、そうだとしたら大変だ。
 俺は上着であるコートだけを寝巻きの上から着て、音を立てないように静かに外へと出た。

  ◆

 マンションの入り口、オートロックドアの向こうには、ベランダから見下ろした時とまったく同じ位置に黒いフードを被った人影があった。
(なんだ、まるで俺を待っていたような……いや、考えすぎか)
 とりあえず話をしてみるか。ドアが開かれ、その先までゆっくりと俺は歩いていく。
「なあ、あんた……こんな夜中に外にいちゃ風邪ひくぞ。マンションに用があるんだろ? ほら、俺が中に入れてやるから――」
 ふわり、とその頭を覆い被さっていた黒いフードが下ろされた。そこにいたのは、紛れもなく――見たこともない黒髪の少女だった。
「女の子……? どうしてこんなところに」
「……やっと、会えた」少女はまるで呟くようにぼそぼそとした声で、「もうすぐ、記憶が戻ってしまう。……その前に、私はあの魔法使いを倒さなければならない」
「な、なんだって……? 魔法使いって、まさかルナのことか?」
 倒す、と言う事はまさか――この少女が、ルナの言っていた『敵』だと言うのか。
 黒いフードの少女は、俺の問いを無視するかのように呟く。
「貴方も時間の問題。今の時間はもうすぐ終わってしまう……。だから。早く貴方も、戦いに――」
「誰?」
 ふと背後から声がした。聞き慣れた声――ルナだ。
「貴女、まさかあの時の……」ルナは何かに気付いたかのように、「兄さんから離れなさい! 少しでも触れたら、容赦しないわよ!」
「ルナ、こいつは……」
「ええ、話してた『敵』よ。まったく、まさかこんなに早く出くわすなんて……!」
 やはりそうだったのか。くそ、我ながらさすがに無警戒過ぎた。少し考えれば、そういった危険性も十二分に考慮できたはずだと言うのに。
「……現状は把握した」黒の少女は、言う。「魔法使い、ルナミス=サンクトリア。明日の夜、午前零時に西条公園にて待つ。そこで、しかるべき決闘と決着を」
「あっ、待ちなさい!」
 気付けば、黒の少女は瞬きと共にその場からいなくなっていた。まさか魔法を使ったのか? 何にせよ、今この時の危機は回避できたようだ。無事に越したことはない。
「……、くそっ」ルナはらしくもなくそう吐いて、「一体全体何を考えているのよ、あの魔法使いは……!」
 ルナミス=サンクトリア……と言ったか。おそらくそれがルナの本名だろう。やっぱりどこかの外国の生まれだったか。ふむ、俺の予想は見事的中ってわけだ。このシリアスな場面でそんな事を考えられるのは、やはり嵐が過ぎ去ったからだろうけど、それにしてもさすがにここまでくると俺も魔法使いってもんの存在を認めなければならないようだ。
「……ルナ」俺はここしかないと思い立って、「その、寝る前はごめん。あれはやり過ぎた。反省してる。だからその……許してくれないか?」
 ぽかん、と。何故かルナは俺の顔を見てそんな擬音が相応しい表情をしていた。
「もういいわよ、忘れたから」今度は何か嬉しそうな顔で、「それよりほんといきなりね、びっくりしたわよ。さっきまで敵の魔法使いがすぐ目の前にいて、宣戦布告までされたっていうのに……何でそう気楽なのかしら、兄さんは」
 まあ、確かにそう言われればそうなんだけど。俺にとっては、それよりもきっと優先順位が高かったってだけの話だろう。
「ごめん」
「何謝ってるの? なんだからしくもなく下手《したて》だけど、もう気にしなくていいって言ってるんだから兄さんも忘れてよね。もお、まったく。ふふふっ」
 なんだろう。妙に気持ち悪いくらいルナの機嫌がいい気がするんだが、俺の気のせいだろうか。いや、気のせいではないと思う。だが何故そんな上機嫌なのかがわからない。
 すると、ルナはマンションの中へと戻るように一人歩き始めて、
「それにしてもあれよね。兄さんってへんな人だとは思ってたけどやっぱりへんよね、うん。ああ、そうそう――ひとつだけ指摘しておくけど」ルナは本当に可愛らしく微笑んで、「独り言はあんまりよろしくないわよ? 特にああいう独り言は、ね?」
 ルナはそう言い残して、一人我先にとマンションの中へと戻っていった。
 ……、独り言。独り言?
「え、おい。……まさか」
 まさかまさかまさか。
「ちょ、ちょっと待てよルナ。もしかしてお前、あれ聞いてたのか……?」
 俺の声は届かず、ルナはいつの間にか視界から消えていた。
「おいおい冗談だろ、あんな独り言を聞かれてたなんて、それじゃあ……」
 俺はルナを追うようにしてマンションへと入っていく。エレベーターは七階に止まっていたので、ルナはエレベーターを使って上がったのだろう。ボタンを押す。エレベーターはそのまま一階ずつ降りてやってくる。
 独り言。
 俺が独り言をしていたとするなら、間違いなくさっき――そう、一人で独白していたあの時の事だ――に違いない。まさかルナのやつ起きていたのか。だとするならさっきあの魔法使いと対峙していたときに突然やってきた事にもつじつまが合う。たぶん俺が出ていったから気になったんだろう。だけど、それはあんまりじゃないだろうか。よりにもよって、あんな独白の内容を聞かれてしまっていたとなると……それじゃあ、告白したのと何ら変わりない。
 やってしまった、と思う。ルナは間違いなく俺に気がないと言うのに、あんなことを聞かれては間違いなく軽蔑されるだけだろう。ヘンタイどころの話ではない。冗談で抱きつくとか、そういう次元の話じゃないのだから。
 エレベーターが、止まる。
「絶対嫌われてんだろうな、俺。ま、そうだよな……義理とは言え、妹を好きになるやつがどこの国にいるってんだよ」
 ふと、気付く。
 落ち込んでうつ伏せていた顔を見上げてみると、そこには。
「……あ」
 エレベーターのドアが開いた、その先に。
「……な」

 そこには紛れもない、ルナがいた。

「なんで、まだ。乗って、るんだよ」
 うまく言葉が出せなかった。ただ目の前の光景に、そして二度目の失態に動揺して。
 聞かれた、確実に。なんてこった、さっき指摘されたばっかだって言うのに。
「驚かそうと思っただけなんだけど……うん、兄さんはちょっと勘違いしてるみたいね」
 ルナが近付いてくる。何故だかわからないけれど、今の俺はどうしようもなく無力で、
「あの、ね」俺の顔を見上げながら、その金髪の少女は歌うように言う。「好きって言われて、その人のことを嫌いになる人なんて、たぶんいないんじゃないかな……?」
「ル、ナ……?」
 解らない。ルナが何を考えているのか解らない。何を言っているのか、何をしているのかが俺には理解できなくて。
「だからね。……わたしは、貴方のこと嫌いじゃないよ」

  ◆

 結局、俺はルナと同じベッドで眠ることになった。
 別に深い意味はない。ただ単に、リビングじゃ寒いだろうと言うルナの配慮があっただけだし、お互いに頭を逆に向けて寝れば問題ないだろうと言う提案もあったからだ。それなりにでかいベッドなのは事実だから、スペースに困ることはないだろう。二人程度なら十二分に眠れるぐらいの広さはある。
「なあ、ルナ」俺は天井を見上げながら、「……嫌いじゃないっていうのは、好きってことになると思うか?」
「なるわけないでしょ、ばか」ルナは即答した。「勘違いしないでよね、わたしは別に嫌いじゃないってだけで好きだとは一言も言ってないんだから。言っておくけど、もし次に何かへんなことしたら今度こそ嫌いになるわよ」
「……だろうな。はは、悪い悪い。へんな事聞いちまって、悪かったよ」
 しばしの沈黙。
 明かりも消えているし、このまま眠ってしまったもよかったけれど。何故だか、今の俺はそんな気分になれなかった。
 少しして、俺が口を開く。
「そういや、受けるのか。あの魔法使いが言ってた……決闘ってのには」
「受けるわ。うん、受けないといけない。早く終わらせたいって気持ちもあるし、今日みたいにまたこっちにやってこないとも限らないしね。それにしても迂闊すぎよ兄さんは。もしあっちが見境のない魔法使いだったら殺されてたかもしれないのに」
 ……、う。耳が痛いが、それは確かに本当のことだった。
 正直に言って、あの瞬間まで俺は魔法使いという存在を信じ切っていなかった。だからこそ、ああして警戒もせずほいほいと外へ出て行ってしまった。迂闊、確かにその通り。何の言い訳も弁解もできない。
「まあでも、あの魔法使いさえなんとかすればわたしはこっちにいる理由もなくなるからね。……もしかしたら、それでお別れかも」
「な、なんだよそれ? ここにいる理由ってのは、俺を監視するためじゃないのかよ?」
「そうね、そうだけど」ルナは少し寂しげに、「あの魔法使いを倒したら、わたしは一度本国に帰るつもり」
 そんな、それはいくらなんでもあんまりだ。せっかくこうして出会って、好きになって。その次の日にはもうお別れだって、そんなのはあんまりにあんまり過ぎるだろう。
「どうしても……帰るのか?」
「うん、ごめんね。……ほんとなら、もう少しいるつもりだったんだけど。予想より遥かに敵の動きが速かった。正直、ここまで積極的な相手だとは思ってなかったもの。このままもう会うこともないかもって思ってたぐらい。でも、まあ。向こうから出てきたのなら、しっかり相手はしなくちゃいけないし」
 俺は何も言えない。
「そうだ、この際だから話しておこうかな。あのね、学校で『どうして貴方に興味を持ったのかわからない』って言ったでしょ。あれ、嘘」
「……何だって?」
「もうひとつ。『魔法使いはその正体を知られてはならない』ってのもね、嘘」
「はあ? 何言ってるんだよ、意味がわからないぞ」
「うん。白状しちゃうとね。最初からわたしは貴方の妹になるつもりだった。一時的にね。わかる? わたし、貴方を『利用』しようとしたんだよ」
 おいおい、ちょっと待て。何がだ。ルナは何を言ってる?
「たまたまそこにいたのが貴方だった。本当はしたくなかったけれど、するしかなかった。……わたし、あの魔法使いに負けそうだったの」
「なんだって……?」
「だから、逃げる必要があった。なんとしても、ここで負けるわけにはいかなかったから。そのために、ただ単にそこにいた貴方を利用しただけにすぎない」
 限界だった。
 俺は布団を跳ね飛ばすと、身体を起こしてルナの腕を引っ張った。
「ちょ、ちょっと! 何するのよ、痛いってば!」
「どういうことだよ、ちゃんと全部話せ」
「……」ルナは少し言い難そうな表情で、「うん。わかったから、話すから。手、離してよ。痛い」
「あ……、悪い」
「……あの魔法使いと戦ってたってことは、わかるわよね? その結果、わたしは負けそうになった。相手の力量を測り間違えたのか、想像より遥かに相手の実力が高かったのよ。だからとにかく逃げたわ。なんとかして負けないように。逃げるって手段は負けと認められないからね。そして、わたしは貴方をそのときに巻き込んだ」
 巻き込んだ。それは、確かにルナが言っていた言葉。
「貴方がわたし達の戦いを見ていたっていうのは本当。その場にいた貴方をわたしが巻き込んだのも本当。だから別に嘘はついてないの、その点に関して言えばね。相手からしてみれば、わたしが連れて逃げたのは一般人。無為に危害を加えることをためらったのね。それ以上追跡はしてこなかった。本当なら貴方の役割はそこまで、それで終わるはずだったんだけど、ふと考えたの。このままわたしの『言葉《ワード》の《オブ》魔法《マジック》』を使って、貴方にわたしが前からいる家族だと認識させることができれば、うまくすれば隠れ蓑を作れる、ってね。よくあるパターンよ。一般人を洗脳してその家庭にイレギュラーとして短期間の間あくまで自然に割り込む。そうすることで宿や隠れ場所を確保する。……それだけのためだった。貴方の妹になるなんて理由は、本当にそれだけだった」
「じゃあ、何だよ」俺は少しぶっきらぼうな口調で、「俺を巻き込んで後悔してるって、悩んで苦悩して選んだんだって、仕方がなかったんだっていうあの言葉は全部嘘だったっていうのか?」
 学校から帰宅してきたあの時。確かにルナはそう言っていた。そうだ、あれは全部嘘だったって、虚言だったって、そう言うのか。
「……信じてもらえないかもしれないけど、あれは全部本当。わたしは後悔したわ。こうして貴方を巻き込んでしまったことを。ただここを隠れ場所にするためだけに、貴方の事情も知らずに勝手に家族ごっこをした。ほんと、自分でも情けないし馬鹿げたことをしたって反省してる。それは嘘偽りなく真実。信じてくれないとは、思うけど」
 ……、そうか。だからあの時、ルナは異様に反応していたのだろう。自分の目的のためだけに俺を利用した、そのことに関してずっと罪の意識を背負ってきながら、あの話を聞いてきっとそれが背負いきれなくなった。
「……信じるよ。俺は、信じる」
 俺はルナを信じたい。こうして話してくれているのだから、それにはきっと偽りはないと思うから。
「うん、ありがと。……最初はね、本当に利用するつもりだけだった。でも『言葉《ワード》の《オブ》魔法《マジック》』が効いていないって解った瞬間、戸惑いもしたけど、同時に安堵もしたの。これならきっとやり直せる、って。だから本当はその場で全て打ち明けるつもりだった。……でも誤算が起きた。貴方が昨日のことを何一つ覚えていなかったのよ。それを知って、わたしはまだいけると思ってしまった。なんとか少しだけでもここにいようと思ってしまった。だから、あまり昨日のことについて触れたりはしなかった。……そして同時に、昨日のことを思い出せば、この関係はすぐに壊れる。そう、それを解っていたからこそ、わたしはそうすることに決めたの」
 記憶……なんらかのショックで一時的に消えてしまった俺の昨日の記憶。それが戻れば、確かに俺は理解できる。ルナが何者で、俺がどういった扱いをされているのか。
 そうだ。もし俺がそれをその場で思い出していれば、確実にルナを放り出していただろう。ルナとここまで接しあうことはなかった。失われた記憶が作り出した、なんとも矛盾な関係。それが、俺とルナの関係だったって言うのか。
 俺は口を開く。
「確かに、俺の記憶がそのときにあったなら今と違う未来になってたかも知れない。……でも今は違うだろ。俺はこうしてルナと共にいる。妹だってことを認めている。一緒にいたいと今でも思ってる! こうやって真実を知った上でも俺の気持ちに変わりはないんだよ」
「でも」ルナはそんな俺の言葉を遮るように、「わたしのやったことは結局おんなじなのよ。貴方を利用して、貴方を騙して。そんなやつと、これ以上一緒になんていられる?」
「いられるだろ」即答してやった。「だって、俺はルナの事が好きなんだから」
 少しの間。ルナは俺の顔を見つめると、目を丸くして頬を赤く染めていた。
 ここしかないと、俺は言葉を続けてやる。
「ルナの事情はわかった。確かにルナのやったことは少し間違っていたのかもしれない。でも仕方ないだろ。誰だって生きたい、逃げ延びたいと思うのは普通のことだ。俺だってそうするさ、たぶん間違いなくな。だから別に気にすることはないんだよ。襲われて戦って、それで逃げるために、ルナが助かるために俺が役に立ったって言うんなら、今の俺にとってそれは本望だ」
「……本当に、どうして貴方はそんなことを平然と言えるのよ。おかしいわよ、そんなの。自分が利用されたって、嘘つかれて騙されていたって知って、それでもわたしといることを選ぶなんて、普通じゃないわ。ばかよ、大ばかじゃないの」
「そうだな。ばかだ、俺は大ばかだろうよ。でも、ルナだってばかだ」
 そう言って、俺はルナの手を握った。何気なく、さり気なく――ただ、そうすることが自然だというように。ルナは特に何かいうわけでもなく、その手を握り返してくる。
「……そうね。そういえばわたし達、二人揃ってばかなんだった」
 そう言って微笑み、ルナはそのまま身体を預けてきた。
「っちょ、ルナ……?」
「もう寝る……話したら一気に力が抜けちゃった……おやすみ……」
 とか言いながら、数秒で眠りの世界へと突入してしまわれた。
 なんつースピードだ、もしかして今まで相当眠いのを我慢していたんだろうか。
「……ああ、おやすみ。ルナ」
 そっとルナの髪を撫でる。
 そうしているうちに、いつの間にか襲い掛かってきていた睡魔に負け、俺もルナと共に眠りの淵へと落ちていくのだった。